安部 父の母、ばあちゃんちに預けられました。そこにも帰ったり帰らなかったりで、路上生活も経験しました。似たような仲間とつるんでみたこともあったけど、基本は一人ぼっちでした。

高濱 きょうだいはいなかったの?

安部 年子の弟と六つ下の妹がいます。幼少期、弟は体が弱くてアレルギーもあったので、母はそっちにかかりきり。妹も幼い頃から不登校でしたから、問題は多かったですね。

高濱 あー……。実はきょうだい間比較が引き起こす問題ってけっこう多いんだよね。意外と親は気づかないけど。

安部 親からすれば、子どもの数が増えると大変ですよね。

高濱 いや、親同士のネットワークがあれば大丈夫。肉親じゃない他人の大人の視点が必要なんだ。

安部 なるほど。そういえば、うちの母に「そんなに怒らなくても」と言ってくれていた幼なじみのお母さんが近所にいました。ああいう人がいることが大事なんですね。大人の側としてはそうですよね。ただ、子ども側が受け入れられないパターンもありますよね。その頃の僕には、いわば破滅願望みたいなものがありました。ケンカもそれなりに強かったんですが、それは自分の命なんてどうでも良かったから。

高濱 わかる。ケンカの相手としてはそういう人間が一番怖いもの。でも結局そこからさらに堕落しなかったのは、自分のことを嫌いにならないという強い意志のおかげ?

安部 うーん、誰も自分を認めてくれないなら自分が自分を好きになる、そう思える行動をとろうと思うようになったんです。その頃かな、みっともなくてもいいけれど、ダサいのだけはやめようと考え始めたのは。夢中になって、真面目にやって、みっともないのはいいじゃないか、だったらなんでもチャレンジして場数を踏めば、本当の意味で強くなれるのでは、と思うようになって。

高濱 そのチャレンジのひとつが「ドラゴン桜プロジェクト」?

安部 そうですね。高校から補欠枠で入った中高一貫校もなんとか仮進級で高3まで来たけど、さすがに上の大学には行けない。『ドラゴン桜』と似た偏差値だったので、じゃあ東大目指せよ!と友人や担任が面白がってくれたのが始まりでした。本当に僕は運が良かった。先生も友人も"しでかした”僕の事情を知りながら、ユルく見守って応援してくれた。この頃から自分の中の空っぽだったバケツに、どんどん愛情が満たされていくのが実感できたんです。世の中の見え方が急に変わっていった。リディラバを作ったのもその延長線上にありますね。

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