【解説】

 対面で授業参観が行われるようになったことは、本当に喜ばしいことですね。子どもが授業に参加しているところを実際に見られることがどんなにありがたいことか、コロナ禍を通して我々は知ったのではないでしょうか。

 さて、すでに、コロナ禍以前から「クールビズ」などによって、服装の簡素化は進んでいました。コロナ禍でZoomを使ったリモートワークが増えるにしたがって、スーツを着なくても商談や会議に出席することができるようになりました。

 相談者さんが言うように、授業参観も「7割方の保護者がスーパーやコンビニに行くような普段着で、きれいな格好のほうが浮く」というのは新しい時代のスタイルなのではないかと思います。カジュアルな服装は、堅苦しくなく、くつろいだ気持ちも演出してくれますので、みんながカジュアルな服装だと、企画会議などでも、より自由な発想、より自由な発言ができると言われていますね。そういう点では、授業参観にも保護者が、カジュアルな服装で出席するのは、先生も子どもたちにも堅苦しくない雰囲気でいいことであるとは思います。

 2500年前から人の生き方の規範として親しまれた『論語』の中でも、服装のことが話題に取り上げられている章句があります。

「子曰(い)わく、敝(やぶ)れたるおん袍(ぽう)を衣(き)、狐貉(こかく)を衣る者と立ちて、而(しか)も恥じざる者は、其(そ)れ由(ゆう)なるか」(子罕第九)

 孔子の弟子のなかでも大変な志を持った子路は、ボロボロになった粗末なおん袍(綿入れ羽織)を着ていましたが、高い毛皮をまとった高位高官と会っても、まったく恥じたり、気後れしたりしない人物でした。

 しかし孔子は、そんな子路を、見苦しいと思っていたに違いありません。どうしてそんな格好で立派な人物に会っても何とも感じないのかと、聞いたのでした。由(ゆう)とは子路の実名です。

 子路は「こんな格好をしていたからって、他人を傷つけるわけでもない。無理な要求をしているわけでもないから、いいじゃないですか」と答えたのです。

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