中学2年のとき、留学に興味が湧く。話す力を試してみたい。学校が斡旋するプログラムではなく、インターネットでホームステイ先と語学学校だけを紹介してくれる短期留学プログラムに応募。1カ月のオーストラリア滞在を決めた。航空券は自分で予約。オンライン英会話で日常会話はこなせるレベルに達しており、両親も自分のやりたいことを尊重してくれた。この留学先・シドニーの語学学校でのある経験が、松野さんの進路を方向づける1つ目の転機となった。
「『オーストラリアは島か大陸か?』というテーマで議論がありました。普通に考えると大陸なのですが、あるフランス人の同年代の生徒が、『いや、島だ』と主張し、1時間の授業が完全につぶれてしまったんです。先生も周りの学生も、彼をばかにすることなく、論理的に反論する。こんな授業があるのかと驚きながらも、もっとこんなふうに勉強したいと思いました」
帰国後もその思いを持ち続けていた。海外には、学生が活発に話せる場がある。それに、海外ではダブルメジャー(二重専攻)など、自由な教育が提供されている。飛行機が好きで航空工学に興味があったが、他の分野も学びたい。気づけば、海外大への思いが芽生えていた。所属していた卓球部を中学3年の夏に引退し、英語部に入部。目標に向けた準備が始まった。
松野さんの中学時代の様子を知る、日立第一高等学校の星留美先生(英語科)はこう話す。
「中学時代は英語がずば抜けて優秀だったという印象はないのですが、オーストラリア留学や、英語部で勉強したりして、伸ばしていったのだと思います」
高校1年の夏には、茨城県教育委員会が主催する「次世代グローバルリーダー育成プログラム(NGGL)」に応募。そこで、海外大の日本人学生と懇談する機会に恵まれた。そのなかにはハーバード大の学生もおり、受験の相談に乗ってもらった。進学のビジョンが具体化していった。
海外大の受験は、国内の大学受験と大きく異なる。必要なのは、TOEFLとアメリカの共通テスト・SATのスコア。それに、高校の成績書と教員の推薦文、課外活動の記録、エッセー、面接なども課される。学力はもちろん、人柄や高校3年間での努力も重視されるのだ。そこで松野さんは東京マラソンの英語通訳、ディベート大会の審査員などの募集をネットで見つけ、積極的に応募した。茨城にいて、待っているだけで情報が来る環境ではなかった。
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