そのときだ。息子が走って逃げ出し、マンションの非常階段の隙間から消えた。

「ああ! 落ちた!」

 私はそう思って全身にサーっと鳥肌がたった。逃げる息子、追いかける夫、周りで見ている友達。実際には息子は非常階段を駆け下り、私から見えなくなっただけだったのだが、その光景が映像のようにスローモーションで私の記憶に残っている。

 息子が落ちていなくて本当によかった。思い返すだけで今でも胸がきゅーっと締めつけられる。これでもし息子が死んでしまったら取り返しのつかないことになる。そんなことになったら、もうどうにもならない。私は何をやっているのか。

 その日、私は混乱しながら会社へと向かった。そのころから私の中の何かが変わっていく。

学校って何?

 息子は学校から帰ってくると、とても元気で友達ともたくさん遊んでいた。学校で何か問題を起こすこともなく、いじめにあっている様子もない。先生からも「とにかく連れてきてくれたら、学校では楽しく過ごせていますから」という報告ばかりだった。

 私もどうにか連れていこう、たまに休んだりしながら、とにかく連れていけさえすれば楽しく過ごしているのだからと思っていた。しかし、こんなに嫌がることを息子にさせるのが、本当に息子のためなのだろうか? 私は疑問を感じるようになっていった。

 たしかに土日や放課後は友達と楽しく遊んでいたし、今の息子にとっては学校さえなくなればきっと幸せなのだろう。

 子どもには幸せでいてほしい。それが私の願いではなかったのか。

 学校ってなんで行かなくちゃならないのか? 学校って何? 教育って何? 私はなんで学校に行ったの? なんで大学にまで行ったの? 苦しみを乗り越えた先に本当に幸せがあるの? 毎日苦しい日が続いたら、それがそのまま将来の姿なのではないか?

 私はぐるぐると考え続ける日々を送った。学校に行くことが常識だとしたら、世の中の常識ってどのようにしてできたのだろうか。

 常識って何? 正社員として働くことが一番正しいの? 私は本当に今の仕事がしたいの?

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