約30年前まで、日本では、障害がある人たちに子どもを産めないようにする手術を「強制的に行う」ことが可能な「旧優生保護法」という法律がありました。この法律はどのような内容で、どのくらいの人が手術を強いられたのでしょうか。ジャーナリストの一色清さんがわかりやすく解説します。小中学生向けのニュース月刊誌『ジュニアエラ2024年10月号』(朝日新聞出版)からお届けします。※後編<2万5千人が不妊手術を強いられた「旧優生保護法」はなぜ生まれたのか? 歴史と問題点を解説>に続く
最高裁判所で違憲判決が出た「旧優生保護法」とは?
――今年7月、最高裁判所で「旧優生保護法」は違憲だったという判決が出ました。「旧優生保護法」とは、どのような法律ですか?
戦後間もない1948年にできて、96年まであった法律です。目的の一つは「優生上の見地から不良な子孫の出生を防止する」ことでした。つまり、遺伝性の病気や障害などとみなされた人に対して、本人の同意なく子どもをできなくさせる不妊手術を可能にする法律だったのです。
――そんな法律が30年ぐらい前まで日本にあったんですね。不妊手術はどのぐらいの人に行われたのですか?
国会で公表された調査報告書によると、少なくとも約2万5千件が行われたそうです。このうち、遺伝性の病気や障害を理由として、本人の同意なく行われた手術が58%、同意があって行われた手術が34%、遺伝性ではない病気や障害を持った人に同意なく行われた手術が8%となっています。手術を受けた人の約4分の3は女性、約4分の1は男性で、9歳の女の子に手術を行った例もあったそうです。
――いつごろから問題になったのですか?
70年代から障害者団体などの抗議の声はあったけれど、大きな声にはなりませんでした。94年に国連の会議で、日本人の障害者がこの法律の問題を訴え、国際的な反響を呼んだことを受け、96年に同法はやっとなくなりました。でも、手術を受けた人たちへの国の賠償や謝罪はなかったのです。
2018年に、宮城県の女性が初めて国に賠償と謝罪を求めて提訴したことをきっかけに、全国で訴訟が相次ぎ、24年7月に最高裁が「旧優生保護法は違憲だった」として、国に賠償を命じる判決を言い渡しました。
ジュニアエラ編集部