ところが実際に研究してみたら、100万種とも一億種とも言われる異物の一つひとつに対応できる免疫細胞を常に準備しておくのが免疫の仕組みだということがわかったのです。ある異物が入ってきたとき、それに対応する免疫細胞がその異物を抑えますが、待機していた他の免疫細胞は無用だから死んでしまう。このように、要るか要らないかわからないものを毎日大量につくり続けているなんて、大変な無駄ではありませんか。でも、それをやってきたからこそ、我々は免疫で守られるようになって、生き続けてこられたのです。その無駄をなくしてしまったら、おそらく人間は生きてこられなかったでしょうね。

春山 無駄に英知がある。

中村 生きものの世界は、一面だけを見てこれは無駄だからなくすという形で動いてはいません。今の社会はあまりにも効率重視になっていますが、何が無駄かと決めつけることはできません。生きものは複雑で、矛盾だらけというところが、機械との大きな違いです。

人間ほどへんてこな生きものはない

春山 人間とは何かということを突き詰めれば突き詰めるほど、それは「弱さ」だなと思います。これからの時代で大事になってくるのは、人間の弱さに立ち返ることではないでしょうか。

 中村先生のご本(『生る 宮沢賢治で生命誌を読む』)の中で、「確かにそうだな」と思ったのが、二足歩行の話です。なぜ人間は二足歩行をするようになったのか。それは、森が後退してサバンナになったとき、人間は森の中では弱い動物だったから、他の強い動物たちに食料争いで負けてしまった。そのため、競争相手がいない遠くまで食べ物を採りに行かないといけなくなった。そうやって採ってきた食べ物を、今度は家族や大事な仲間たちに持ち帰らないといけない。そこで手が必要になり、二本の足で歩くようになった。人間の弱さゆえに、直立二足歩行という特徴が生まれた話は大変興味深かったです。

中村 人間の弱さが直立二足歩行につながったというのはまだ仮説ですが、かなり有力であると言われています。何しろ600万年以上も前のことですから、これからわかっていくことがたくさんあるでしょう。たとえば、今まで人間が直立二足歩行をはじめたのはアフリカだとされてきましたが、つい最近、樹上生活をしながら二足歩行している仲間の化石がヨーロッパで見つかっています。ヨーロッパで何が起きていたのかまだこれからの研究を待たなければ何もわかりません。直立二足歩行がいつどこでどうやってはじまったかについては、まだきちんとわかっているわけではないのです。

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