もう一つは次男の勢いに引きずり込まれる形で始めた少年野球。2年生からここまで、一度も辞めたいと言わずに通いました。体は固いし腕力は弱いし足も遅い。野球に向いている要素はお世辞にもあるとは言えないけれど、監督曰く試合運びをいつも誰よりしっかり見て動き、腐らず練習して見違えるほど腕を上げたのだそう。そして中学でも野球を続ける選択をしたのでした。これぞ「好きこそものの上手なれ」であり「継続は力なり」。

「なんとなく」「楽しそう」で始めた習い事が結果的に本人の充足感やいつの間にか成長につながっていたとは本当に皮肉。

 そしてその結果、弟たちの習い事へのモチベーションは〝無〟になりました。

 長男とは真逆ではっきり意思表示をし、好きなものが小さい頃から明確な次男と三男は、やりたいとなったらやれるまであきらめず訴え続けます。親のほうも内容によっては小学生から始めても十分な習い事もあることも学んでいるし、3人それぞれに時間とお金を使えるように慎重に検討するようになりました。

 習い事に笑い、習い事に泣いた子育て13年目。この経験談を読んで同じ道をたどるほうが少しでも減ることを願っています。

 陳腐なたとえだけど、本当に子どもは全員漏れなくダイヤの原石です。親が手を加えずとも人生の山や谷、でこぼこ道を進む中で自然にまわりの岩石が削れて、どこかでパキッと割れてダイヤが転がり出てくるのかもしれません。少しずつうっすらと現れる光もあるかもしれません。そのタイミングも現れ方も人それぞれ全然違う。まわりと比べる、ダメ、ゼッタイ。

 私が長男の分厚い原石に対してやっていたことは、少しでもダイヤが表に出てくるようにお手伝いするつもりで叩きつけたり水や火に当てて溶かそうとしたり……結果的に中のダイヤのほうを傷だらけにしてしまいました。

 誤解してほしくないのは、子どもにいろんな習い事をやらせてみること自体は否定していません。なんの気なしに触れてみた刺激がその子にどう刺さるかは未知数だもの。大事なのはそこに壮大な目的を持たせないことじゃないかな、と思います。これが得意になれば有利、あれが苦手だから克服させたい、脳や体の成長を活性化させたい……なんて期待するのは子のためではなく全部親のエゴ。

次のページへ野球に夢中になることが3兄弟それぞれの成長に
1 2 3 4