おおた:こういう話をすると「うちの子は主体的じゃない」という声が聞こえてきそうだけどね(笑)。

■親が「うちの子、主体性がない」と思っていても…

矢萩:親から見たらうちの子、全然主体性がないと思っているかもしれないけれど、客観的に見たら、いやそれ全然主体的にやっています、ってこと結構あります。例えば反抗することも、それは主体的な気持ちがあるからです。なんなら勉強をしないと決めることも主体性です。

おおた:親の言うとおりに勉強する子をつくる最も手っ取り早い方法は主体性を奪うことですからね。

矢萩:そう。例えば「なんで今これやんなくちゃいけないの?」といった質問が子どもから出てくるとしたら、その時点でその子には主体性があるんですよ。主体性がなければそんな質問を他者には絶対しないですよ。

おおた:つまり、反抗もやらないと決めることも主体性っていうことです。主体性を研究しているある大学の先生が“やらないということさえ決めることができなくなってしまっている子”が一番厳しいっておっしゃっていました。

矢萩:親御さんたちはそんなこと言っていたら受験に間に合わない、と思われるかもしれませんが(笑)。

おおた:間に合わないんだ、ってことがわかればいいんだと思います(笑)。

矢萩:間に合わせる必要がそもそもあるのかをちゃんと考える必要がある。

おおた:僕の『勇者たちの中学受験』の冒頭で、松尾芭蕉のことを書いている真木悠介氏の文章を紹介しているんです。松島を目指して旅をした松尾芭蕉は松島で一句も俳句を残さず、一夜滞在しただけなんですね。松島は旅の方向を与えただけ。旅の目的は松島に到着することでなく、「奥の細道」そのものに旅の意味があった、と。つまり目標地は設定したとしてもそこに到達するだけが目標ではないんです。矢萩さんが先ほど成長が一番大事、っておっしゃいましたけれど、その子らしく歩み続けることが一番成長をもたらしてくれるのであって、たとえ目標地に到達しなかったとしても、それは失敗だ、というような中学受験観を持たないほうがいいんじゃないかと思います。

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