西條:いわゆる人間科学、社会科学といった学問のほうこそ実はまるで未発達なんです。心理学の研究を続けながら、同時に本質とは何かを真剣に考えるようになったのは、このころからです。

高濱:子育てこそ、物事の本質をとらえやすい場なのかもしれない。平均なんて気にするな、本質を見抜け、と。

西條:「学問」って、問いを学ぶって書きますよね。子どもがあれ何?これ何?と聞いて学んでいく。あれが原点です。すべての学問はもともと日常の問いを体系化したものですから。かたや「勉強」は、強いてめるって書くでしょ。強いられるものではなく、自分の中から湧き出た問いを学んでいきたいですね。

高濱:西條さんも子育ての真っ最中なんですよね。

西條:5歳と1歳半の女の子の父です。まさに渦中の人間なんで、子育てって、大変だよね……というのが実感ではあるんですが(笑)。

高濱:西條さん自身はどういう子どもだったんですか。小学生のころは何になりたかったんでしょうか。

西條:小学生のころは剥製(はくせい)屋になりたいって書いてました。うちの父、剥製屋だったんですよ。

高濱:なんと! ユニークですね。

西條:これまで一度も同じ職業の人に会ったことないですよ。ハンターもしていましたし、剥製も作っていました。ハンターも加工も冬の仕事なので、夏は私たちとずっと遊んでくれました。海にも山にも島にも行きましたよ。だからこれはなんていい仕事なんだと(笑)。

高濱:なるほど。半面、つねに動物の死を見ていたということでもありますよね。生き物の死の上に成り立っていた生活というか。

西條:確かにそうですね。なめし革も目の当たりにしていたし、冷蔵庫を開けたら鳥やウサギが凍っていたとか、肉を食べたら残っていた散弾銃のかけらが入っていたとか(笑)。そういえば自分自身も大きなケガが多かったです。崖から落ちたり、ナタでツメごと指を粉砕したり。

高濱:すごいな。毎日生と死の本質に取り囲まれていたって感じですか。体験総量がとてつもなく多そうですね。

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