高濱:よく言えたよ、ちゃんと伝えられる子とそうでない子がいるから。……で、おとうさんは、なんて?

香川:それが、伝えたらすぐにピタリとやめてくれたんです。

高濱:素晴らしい。言った息子もえらいし、すぐにやめたお父さんもえらい。

香川:でも熱心さは変わりませんよ。僕がプロになった今でも、ドルトムントまで応援に来るし、ワールドカップも母と姉は予選リーグで帰ったけれど、父は最後までいたし(笑)。

高濱:サッカーは小学校のときから圧倒的に飛びぬけた存在だったんでしょ。

香川:うーん、市や県の選抜に選ばれましたけど逆に言えばその程度。誤解されがちなんだけど、僕は決してサッカーエリートではないんです。僕のまわりにはいつも僕よりうまい人が何人もいました。

高濱:中学から仙台にサッカー留学した理由は何だったんですか? スカウト?

香川:地元の信頼しているコーチから仙台のクラブに行ってみないかと勧められたんです。試しに小5の冬休みに2週間行ってみたら、帰りたくない!と思うほど楽しくて。絶対にここでサッカーやろうと思って、仙台の市立中学に入学したんです。両親はさびしかったかもしれないけど、何も言わず許してくれました。

高濱:所属したチームは、「FCみやぎバルセロナユース」というところでしたね。

香川:はい、地元の強豪校のサッカー部でもなければ、Jリーグの育成機関でもない、地域クラブです。僕らの練習場所はボコボコのグラウンドだったけど、そこから見えるJリーグの練習場は芝生が美しかったことをよく覚えています。だから僕は、エリートというよりも雑草魂を持った人間なんですよ。もともと負けず嫌いだったけど、ここでさらにメンタルを徹底的に鍛えられました。

高濱:どういうクラブだったんですか。

香川:当時は、個性を伸ばすことに主おきを置いてましたね。ゲーム形式を繰り返して、好きなプレーをどんどんしろって。そして生活面では、挨拶をきちんとすること、感謝の気持ちを忘れないこと、仲間を思いやることなどを、それは厳しく指導されました。

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