日本中が沸いたロシアワールドカップで、日本代表として背番号10を任された香川真司選手。『AERA with Kids秋号』(朝日新聞出版刊)で、香川選手はどんな子ども時代を過ごしてきたのか、花まる学習会の高濱正伸先生がインタビューしています。
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■小4のとき、勇気を出して父に伝えたこと
高濱:香川さんは、小さい頃からサッカー一筋だったんですか。
香川:4歳のときにJリーグが華々しく開幕したこともあって、地元のサッカークラブに入りましたけど、ふだんはとにかくずっと外で遊んでました。マンション育ちですが、前が公園だったので、鬼ごっこや缶けりやブランコ。サッカーだけでなく、野球やバスケもやりましたよ。
高濱:それを聞くと、都会に住んでいるおかあさんたちがホッとしますよ。
香川:子どもはどこででも遊べますから。
高濱:ほかに習い事はしていたんですか?
香川:水泳と習字も習っていました。でも水泳はイヤで習字はもっとイヤ(笑)。よくサボったなあ。とにかくサッカーが楽しくて楽しくて、ハマってしまって。
高濱:小さい頃にトコトン夢中になれるものを見つけられたのは幸せでしたね。
ご両親は応援してくれたんでしょ。
香川:母は、土日の練習の送迎や弁当作り、試合観戦にも毎回来てくれました。母が僕のサッカーにつきっきりだったので、姉はちょっとかわいそうだったかもしれません。
高濱:お姉さんがいるんだ。一姫二太郎ですね。いくつ離れているの?
香川:2つ違いです。だからリアルにさびしかったんじゃないかな。姉は両親と口をきかない時期もあったんですが、僕のせいかも(笑)。もちろん今は姉も応援してくれていて、ワールドカップも家族そろって来てくれました。
高濱:お父さんは、どうでしたか。
香川:父が一番熱心でした。力入りすぎってくらい。実は小学生のとき、それがイヤで仕方なかったんです。サッカーの試合中に、父自身のボルテージがあがってしまい、大声でいろいろ叫ぶんですよ、毎回。それがしんどくて。だから試合がある日は、「今日お父さん来るの?」と恐るおそる母に確かめたり(笑)。でも来てほしくないとは言えないじゃないですか。応援してくれているのがわかっているだけに。だけどこのままではサッカーそのものが楽しくなくなりそうな気がして、小4のとき、思い切って言ったんです。どう伝えたかは忘れましたが、言うのにすごく勇気が要ったことははっきり覚えています。
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