1966年に凶悪犯として逮捕され、80年に死刑が確定した袴田巌さん(82歳)。48年も拘置所にいたが、2014年、静岡地方裁判所(地裁)が無実の可能性があるとして裁判のやり直し(再審)を認め、釈放された。ところが今年6月、東京高等裁判所(高裁)で再審が取り消された。なぜこうしたことが起きるのだろう? 毎月話題になったニュースを子ども向けにやさしく解説してくれている、小中学生向けの月刊ニュースマガジン『ジュニアエラ』に掲載された、朝日新聞社会部・杉浦幹治さんの解説を紹介しよう。

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 袴田さんが犯人とされた事件は「袴田事件」と呼ばれる。1966年に静岡県のみそ工場の専務とその家族4人が殺され、家が放火された事件だ。

 この工場で働いていた袴田さんは事件の1カ月後に逮捕された。取り調べ段階では犯行を自白したとされるが、裁判では一貫して無実を主張。静岡地裁が下した判決は死刑だった。自白については、長時間、脅されながらしたものであるとして、証拠としてはほとんど認めなかったが、犯人が事件のときに着ていたとされるシャツの右肩についていた血と、当時同じあたりをけがしていた袴田さんの血液型がともにB型だったことを根拠とした。東京高裁、最高裁判所(最高裁)でも、判決は覆らなかった。

 原則、裁判は最高裁が最後だが、「無罪を言い渡すべき明らかな証拠」が新たに見つかった場合に限り、やり直すことが認められる。2012年、最新の方法でシャツについていた血のDNA型を調べたところ、袴田さんと違うという結果が出た。14年に静岡地裁が再審を認めたのは、このためだ。

 静岡地裁は警察が証拠をでっちあげた可能性に触れたうえで、「袴田さんは長く死刑の恐怖のもとで自由を奪われた。これ以上は耐えがたいほど正義に反する」と指摘。釈放を命じた。死刑囚の立場のままの釈放は、過去に例がないことだった。

 袴田さんを犯人としてきた検察は、「このDNA型鑑定は独特すぎて信用できない」と反発。東京高裁に不服を申し立てた。

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杉浦幹治
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