そんななか、一人の子が何げなく言ってくれた一言。
「でも長男ってこう見えてブレないとこあるから、優しいけど弱いわけじゃないと思う~」
学校生活という、親には見えない場所での様子を見てきた同じ11歳の第三者による分析は、(高学年にもなってこの子こんなんで大丈夫なのかな……)と不安を募らせてきた母の肩をポンッと叩いてくれたような優しい衝撃でした。
そうか。
「不足」していたのは子ではなく私。
自分の知っている成長過程しか「ない」と思い込んで、そこにはまらない子どもを心配していた私のほうがずっと経験不足だったのかもしれない。長男は友だち関係で大きな失敗もせず、特別目立って脚光を浴びることもなく6年生まできたけれど、それは別に「経験不足」ではなかった。人を決して傷つけない、穏やかだけど芯はあるという同級生からの信用を静かに静かに積み重ねて自分なりの立ち位置を踏み固めていたんですね。
コミュニケーション能力という“玉”(コミュ玉とでも呼びましょうか)は、「ぶつかって失敗して傷ついて」を繰り返さなくても、元からある素材を大事に壊さないようにそっとなでたり磨いたりしていく方法もあるってこと。そんな長男に対し、次男は自分がそうだったように、熱い鉄を叩いて鍛えてコミュ玉を形成していくのでしょう。
粘土のようにありとあらゆる形に揉んでひねって徐々に形が決まっていく玉もあるし、四角い角材から削り出して球体になっていく玉もある……。きっとコミュニケーションに限ったことではなく、人の成長の仕方にもいろいろあるんでしょうね。自分がこうだったから……と視野が狭くならないように、常にわが子に対して今より一歩引いて見るようにしようと思えた出来事でした。
ところで最近、今日友だちにやられたからやり返してやったんだ!と息巻いている次男を長男が諭しているのが聞こえてきました。
「やり返したら次男くんも正しくなくなっちゃう。相手と同じことしちゃダメだ」
「何かあったときに味方になってもらいたかったら、信用されるように日頃から言葉や行動に気をつけるんだよ」
え……っと、11歳、いつの間にか悟り開いてる……?(入信希望・41歳)