池上:わきまえるでいうと、今のコロナの中で日本の場合はヨーロッパのようなロックダウンをしないわけです。「緊急事態宣言です、みんなで努力をして抑えましょう」って自粛を呼びかけますよね。それって、ある意味「わきまえてくださいね」って政府が言っているようにも思えるんですよね。

ヤマザキ:そうですね。欧米社会は多民族国家で多様な宗教観もありますし、様々な倫理観や価値観があるから、みんなの気持ちが一斉にまとまることはまずありません。だからイタリアではコロナの初期のロックダウン時には、「みんなそれぞれ考え方が違うでしょうけど、今回ばかりは、悪いけどそうしないと大変なことになります」という示唆のある提示をコンテ元首相がしたわけです。

池上:だからロックダウンしても「冗談じゃない」と外へ飛び出したり、マスクを強制するなって言ったりする人たちがいるわけですよね。日本人が見ていると、本当にわきまえない人たちってヨーロッパにはいっぱいいるんだなって思いますよね。

ヤマザキ:どうしてわきまえないかっていうと、日本のような個人の考え方を抑制する「世間体の戒律」がないからなんでしょうね。日本にはキリスト教国やイスラム教国のような宗教的な戒律はありませんが、流動的な世間体の戒律っていうのがありますよね。「自粛警察」もそう。正義感から、他人の行動を監視して世間的な戒律にそぐわない行為をしている人を批判するということでしょうが、わきまえるっていう言葉が妙にマッチするような気がします。

池上:ヨーロッパで自粛警察なんて言葉、生まれないでしょう。

ヤマザキ:生まれないですね。それがあるとしたらイスラム圏ですよ。例えばホメイニ政権以降のイランでの宗教警察です。街の中でちょっとでも西洋かぶれした服装や態度を取っている若者たちがいれば、見せしめも含めて厳しく取り締まられますが、日本の世間的戒律における自粛警察にも、ちょっとそれに近いものを感じますよね。暗黙の暴力行為で戒める。

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