■引き出しに収める作業

池上:自粛警察って要するに、わきまえない人間を摘発することのような気がするんです。だから森さんの「皆さん、わきまえておられて」というのと、コロナ禍の自粛警察って相通ずるような気がします。

 同じように、日本には「空気を読む」っていう言葉もありますよね。これは言語化しないで「空気」を読んで判断しましょうというわけです。これも日本独特だなと思うんです。

ヤマザキ:そうなんです。そこなんですよ。言語化って、考え方が自分のものとして、きちんと引き出しの中に収まる作業だと思うんですよね。考えた事柄はアナログなまま放置しておかずに言語というデジタルに置き換えないと身につかない。

 それをないがしろにして、ただただアナログな感覚だけでやり取りしていくというのは、江戸時代ならともかく、世界とこれだけ繋がってしまった現代の日本ではあまりもう通用しないのかもしれない。むしろ落語などを聞いていると、まだ江戸時代のほうが、みんな思ったことをしっかり言語化できていたのがわかります。しかもそこには洒落という寛容な精神性もあった。でも今の日本では思ったことを言語化するのはよくないことと捉えている風潮があるどころか、言葉の性質が制限されすぎて、かつては使えていたのに今は使えない言葉がたくさんある。このコロナ禍では、世間の戒律や空気に従うだけで、社会の風潮に対して批判的考えを持たないそんな現代の特徴があらわになった気がしています。

■言語化されない表出

池上:私もものすごく反省してることがあるんです。最近何かあると「なんだかなー」って言っているんです。なんだかなーっていうのは、つまり否定的な、それはいけないんじゃないかと思ってるっていうことを表出しているわけですが、言語化はされていないんですよね。

ヤマザキ:確かに言語化されてないですね。そんなのを2500年前のソクラテス先生が聞いたら怒られてしまいますよ。何やってんだって(笑)。

AERA 2021年3月1日号