レズビアン、ゲイ、バイセクシュアル、トランスジェンダーの頭文字をとってLGBT。性的マイノリティーを表すために生まれ、定着しつつある言葉だ。たしかに一定の理解は進んだ。だが、LGBTとひとくくりにすることで、塗りつぶされてしまった「個」や思いがあるのではないか。性的マジョリティー側は「わかったような気持ち」になっているだけではないのか。AERA6月12日号の特集は「LGBTフレンドリーという幻想」。虹色の輝きの影で見落とされがちな、LGBTの現実に迫る。
異性同士でなければ、子どもを持つ権利はないのか。家族と子どもを願う権利を誰が否定できるのか。当事者たちはパートナーシップのその先を、すでに歩き出している。
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公園に行く途中、ユリちゃんが不意にしゃがみ込んだ。3歳児の目線は低い。ユリちゃんは、道端の白い花を摘んで、マユミさん(30)を見上げた。
「ママ、見てー!」
「お花、キレイだね」
マユミさんの視線の先には、1歳半のエリカちゃんを抱くカナさん(36)がいる。ユリちゃんはマユミさんの手を引っ張って、2人のほうへ歩いていく。
カナさんとマユミさんは“ママ友”ではない。共に暮らす女性カップルだ。カナさんがユリちゃんを、マユミさんがエリカちゃんをそれぞれ産んだ。
保育士として働くカナさんとマユミさんが、出産を真剣に考え出したのは、同棲して4年目、5年ほど前のことだ。
「『自分の生き方では無理だろう』と当初は諦めていたんです。マユミの気持ちが強くて、私も自然に子どもを望むようになっていきました」(カナさん)
●愛し抜く覚悟はあるか
ジョディ・フォスターとパートナーのように、精子提供者を得て女性カップルが子どもを持つケースは、海外ではもはや珍しくない。日本でも例はある。
当時、カナさんは31歳。子どもを産むならそろそろ、という思いがあった。
だが、不安は大きかった。
子どもを育てるということは、社会と密に関わることだ。同性婚も認めない日本で、職場や社会は受け入れてくれるのか。差別や偏見があっても気丈にやっていけるのか。「普通」と異なる環境で育つ子どもの気持ちは。結局自分たちのエゴにはならないか。生まれた子に障害があっても、愛し抜く覚悟はあるか。