しかし、グローバル化の旗手を待ち構えていたのは日本人ばかりの職場。アローラ氏はスタッフを海外から呼んでチームを作ったが、仕事の流儀から人事や報酬基準まで、違いは軋轢を高めていった。

 象徴的と社内でささやかれる出来事があった。本社の移転計画だ。アローラチームで、ロンドンへの移転がひそかに検討された。すると、「アローラ社長の時代が来ればSBGは日本企業ではなくなるのではないか」と社内に動揺が走ったという。

「アローラ氏はビジネスを見立てる目や判断に優れてはいたが、巨大組織をまとめるにはどうかと孫さんは最後、躊躇したようだ」

 と指摘する人もいる。

 後任は、宮内謙取締役(66)。孫社長の側近とも言われ、一時は副社長にも就いたが、アローラ氏の入社で席を譲っていた。結局SBGは以前の日本人主導の体制に戻ったのである。

「忙しいのは当然だが、明らかに疲れているのでは」

 日本総合研究所会長の野田一夫氏は孫社長を思いやる。

 大望を抱いて米国から帰国、上京した孫社長は、知人の勧めで赤坂のオフィスに野田氏を訪ねた。当時から現在までそこは若き事業家の“梁山泊”と言われている。初対面の野田氏から「君は見込みがあると言われたことが“起業”の強いバネになった」と孫社長は後日語っている。

「忙しいことは仕方がないが、“忙”という字の意味だけは片時も忘れないでほしい。心を亡ぼすこと。昔も孫君に言ったことがあるが、どうかそれだけはくれぐれも忘れないでほしい」(野田氏)

(ジャーナリスト・山田厚史)

AERA  2016年7月4日号