追悼「田村正和」をまっとうした俳優人生 当初はスターの華やかさに乏しく (1/3) 〈週刊朝日〉|AERA dot. (アエラドット)

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追悼「田村正和」をまっとうした俳優人生 当初はスターの華やかさに乏しく

由井りょう子週刊朝日#お悔やみ
インタビュー中に思索を巡らす田村さん。古畑任三郎を彷彿とさせる(2007年) (c)朝日新聞社

インタビュー中に思索を巡らす田村さん。古畑任三郎を彷彿とさせる(2007年) (c)朝日新聞社

 俳優の田村正和さんが4月3日、亡くなった。享年77。二枚目の代名詞のようなたたずまいと、親しみやすい役柄とを自在に行き来する独特の空気感で、見る者を虚構と現実のはざまにいざなう、本物のスターだった。

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 訃報が公になったのは5月半ば過ぎ、田村さんが心不全で4月3日に亡くなり、四十九日間近になってからだった。表舞台からの退場も闘病も知らせず、田村さんはひっそりとこの世を去った。

 眠狂四郎のようにクールで、古畑任三郎のように飄々(ひょうひょう)として、最期までかっこよすぎないか、という思いすら抱く。田村さんが2009年、モンテカルロ・テレビ祭で最優秀男優賞を受賞したTBS系ドラマのタイトルが浮かんでくる。「そうか、もう君はいないのか」

 田村さんは、大正から昭和にかけて活躍した大スター、阪妻こと阪東妻三郎の三男として1943年、京都に生まれた。15歳上の長兄、田村高廣さん(2006年死去)、3歳下の四男、田村亮さんともに俳優という芸能一家なのは知られている。デビューは成城学園高校在学中の1961年。約60年の芸歴に比して、自分を語る言葉は驚くほど少ない。その寡黙さが、端正な容姿に神秘的なイメージとして重なり、スター性を高めた。

 京都の生家にはテニスコートが2面あり、父は近隣の子どもたちを集めて運動会を開いた。絶頂期の阪妻は遊びぶりも豪快を極め、祇園の芸妓を総揚げし、花見小路から八坂神社まで続く行列を繰り広げたという。

 父とは普通の親子のように手をつないで街を歩いたり、映画を見に行ったりすることもなかった。だが、田村さんは兄弟の中でただひとり、父の仕事にあこがれ、小学生の時から「将来は俳優になる」と宣言していた。父は父で、「役者になるには高廣はばか正直すぎる。役者として大成するのは、いい意味でふてぶてしく、わがまま気質の正和だ」と言っていたそうだ。

 やがて一家は東京に移る。それからまもなく、父が51歳で急死、田村さんは9歳だった。後年、田村さんは、「その日、家に帰ると人や花がどんどん来る。事態がわかってないから、弟と一緒にはしゃいでいた」と振り返っている(2006年7月16日付日刊スポーツ)。


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