石牟礼道子さん死去 熊本地震被災後、朝日ジャーナルに語った「人間の絆」 (1/2) 〈週刊朝日〉|AERA dot. (アエラドット)

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石牟礼道子さん死去 熊本地震被災後、朝日ジャーナルに語った「人間の絆」

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西岡千史週刊朝日

朝日ジャーナルのインタビューで熊本地震の経験を話す石牟礼道子さん(撮影/西岡千史=2016年5月撮影)

朝日ジャーナルのインタビューで熊本地震の経験を話す石牟礼道子さん(撮影/西岡千史=2016年5月撮影)

 水俣病で苦しむ患者に寄り添い、その実態を告発した『苦海浄土』で知られる作家の石牟礼道子さん(90)が10日、死去した。享年90歳。熊本市在住で、パーキンソン病などを患っていた。石牟礼さんは、海と共に前近代の暮らしを営む漁師たちと、「公害」という近代資本主義の負の側面の衝突を描き、国内外の作家に大きな影響を与えた。

 作家の池澤夏樹さんは『苦海浄土』を「戦後文学最大の傑作」と評価し、ひとりで責任編集をした『世界文学全集』(河出書房新社)では、マリオ・バルガスリョサやギュンター・グラスらノーベル文学賞作家に並び、日本人作家として唯一『苦海浄土』を全集に収めた。

 実際、村上春樹さんとともに、ノーベル文学賞に最も近い日本人作家と言われてきたが、作品で多用される方言や独特の言い回しから翻訳が難しく、世界的な広がりが制限されていたことが課題だった。

 1973年には、「アジアのノーベル賞」といわれるマグサイサイ賞を受賞。2002年ごろからパーキンソン病を患っても創作意欲は衰えず、2016年4月に熊本地震で被災した後も、その経験を俳句にして発表した。

 震災の傷跡が街に残る中で行われた『緊急復刊 朝日ジャーナル』(2016年7月7日号)のインタビューでは、被災した時の状況を語ってくれた。一方で水俣の話になると、国やチッソと闘っていた時のことよりも、水俣で暮らす人々が海と一緒にいかに豊かな暮らしをしてきたかを楽しそうに話してくれた。当時の記事を再掲載する。

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 あめつちの 身ぶるいのごとき 地震くる

 1956年5月1日、後に戦後世界史上最悪の公害といわれた水俣病がはじめて公式確認された。60年目の慰霊祭の準備作業が進んでいた中、地震という新たな災難が熊本を襲った。

 冒頭の俳句は、水俣病患者の魂の叫びをつづった『苦海浄土 わが水俣病』の作者である石牟礼道子さんが、震災後に詠んだものだ。石牟礼さんに、震災とその後の日々について聞いた。

「寝ていたら、立てないんです。転んでしまって、歩けない。いつまでも揺れがやまないので『これはたまらない』と思いました」

 4月14日21時26分、石牟礼さんが住んでいる熊本市内の老人ホームを、経験したことのない大きな揺れが襲った。石牟礼さんはパーキンソン病を患っていて、自由に体が動かせない。その時、仕事場と住居を兼ねている部屋には、誰もいなかった。

「それで冷蔵庫の中を開けたらミカンが3つ、それから食べ残しのご飯をおにぎりにしたものがあった。いつもご飯を食べるときに使っているエプロンを広げて風呂敷にして、ミカンとおにぎりを入れて、それからノートを包みました」



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