3年ぶりに来日し、ラモーンズの名曲を披露したCJラモーン(太田サトル撮影)
3年ぶりに来日し、ラモーンズの名曲を披露したCJラモーン(太田サトル撮影)
「GABBA GABBA HEY」の看板を掲げる観客ら(太田サトル撮影)
「GABBA GABBA HEY」の看板を掲げる観客ら(太田サトル撮影)
ニューヨーク・パンクの象徴的な作品となった『ラモーンズの激情』
ニューヨーク・パンクの象徴的な作品となった『ラモーンズの激情』
ファンクラブのyuki kuroyanagi会長の著書『Thank You RAMONES』
ファンクラブのyuki kuroyanagi会長の著書『Thank You RAMONES』

 Hey! Ho! Let’s Go!!

 Hey! Ho! Let’s Go!!

 10月30日。渋谷クラブクアトロのフロアを埋めたファンが叫び続ける。

 ラモーンズの代表曲であり、“パンク・アンセム”とも言える「電撃バップ」のフレーズだ。

 会場全体が大きな声援に包まれる中、伝説の男が姿を見せた。「ワン、ツー、スリー、フォー!」。おなじみのかけ声で「デュランゴ95」の爆音が轟く――。

 3年ぶりに来日したCJラモーン。言わずと知れたラモーンズの元メンバーである。11月1日まで東京、名古屋、大阪を回った。

 ラモーンズはニューヨーク・パンクの先駆者で、1976年に『ラモーンズの激情』でアルバム・デビューした。薄汚れた革ジャン、破れたジーンズ姿のメンバー4人がれんが造りの壁にもたれかかるジャケット写真は、あまりにも有名だ。だが、そこに写る4人はすでにこの世にはいない。

 CJは89年から96年にバンドが解散するまでの間、ベースを担当した。現在はソロで活動中だが、今回は自らのバンドを率い、リード・ヴォーカルをとった。

 渋谷クワトロでは、オープニング時からフロアでモッシュやダイブが巻き起こった。「レッツ・ゴー」、「シーナはパンク・ロッカー」「ジュディ・イズ・ア・パンク」……1曲3分に満たないラモーンズの名曲が繰り出されるたびにファンは狂喜乱舞した。

 解散から21年。ラモーンズのファンクラブが現存するのは世界で日本だけ。クアトロには全盛期のラモーンズを知らないであろう若者も多かったが、ファンクラブには今でも毎月入会希望者がいるという。

 ファンクラブのyuki kuroyanagi会長は生前のジョニー・ラモーンらと交流があり、10月下旬には『Thank You RAMONES』(リトルモア刊)を出版した。

「サイコ・セラピー」「ギミ・ギミ・ショック・トリートメント」「アウトサイダー」「ロックアウェイ・ビーチ」……“ラモーンズの継承者”CJは、自らのソロ曲も交えながらパフォーマンスを続けた。外国人も含めて老若男女が身体を揺らし、ジャンプし、拳を上げ、大声で歌う。

 もちろん聞き慣れたジョーイ・ラモーンの声ではない。ジョニー・ラモーンもディー・ディー・ラモーンもいない。当のCJも短髪、マッチョで、ラモーンズのパブリックなイメージのルックスとは離れている。だけどそこには確かにラモーンズのライブの空気があった。

 クライマックスは、「GABBA GABBA HEY」の掛け声でおなじみの「ピンヘッド」。フロアのあちこちに「GABBA GABBA HEY」と書いた看板を掲げるファンが登場。大きく盛り上がったまま本編が終わった。
 アンコールで演奏された「電撃バップ」。

 Hey! Ho! Let’s Go!!

 Hey! Ho! Let’s Go!!

 ひときわ大きな掛け声が響く。

 2017年の秋、ラモーンズは確かにそこに帰ってきていた。(週刊朝日/太田サトル)

※週刊朝日オンライン限定記事