村木風海さん(21)は、東京大学工学部の3年生。高校時代、総務省の研究支援プログラム・異能vationの「破壊的な挑戦部門」に研究が採択され、空気から二酸化炭素を回収するマシン「ひやっしー」を発明した。さらに、集めた二酸化炭素を使って燃料をつくる、すなわち空気からエネルギーを生み出すことに成功。これを「そらりん」と名付け、「地球を守り、火星を拓く」ことを目標に研究を続けている。2019年には『Forbes JAPAN』の「世界を変える30歳未満の日本人30人」に選ばれた村木さんだが、ここまでに学校でさまざまな教師と出会い、中学時代には研究を否定されたこともあるという。当時15歳。自分の信じる道を進むことができたのはなぜなのか。

MENU ■「それは中学校でやれ」勉強の楽しさが限界に ■年配の教員に「絶対無理です」と否定され ■高1の時から自分でアポを取り、全国の大学へ

*  *  *

――村木さんが最初に科学に興味をもったのはいつですか?

 2歳の時、両親が運転する車の中で「近くの景色は速く進むのに、遠くの景色はなんで遅いの?」と聞いたのが始まりだったようです。母が「この子は科学が好きなんじゃないか」と思ったそうで、それ以来科学に関するいろんな情報を与えてくれて、科学館に連れて行ってもらったりしました。 

 小学3年生からは、東京のサイエンススクールに月1回、地元の山梨から通い始めました。仮説を立て、実験して、結果を考察して、堂々と意見を発表するという、科学者の基本的な姿勢が学べる実験の教室でした。物理、化学、生物、地学、全部やるのですが、本当に楽しくて! このスクールで僕は科学が大好きになりました。印象に残っているのは豚の目の解剖です。目を切り裂いて、水晶体を取り出して、ゼリーみたいなものが出てきて……6年生になるまで通い、教科書じゃ学べないことがたくさん学べました。

■「それは中学校でやれ」勉強の楽しさが限界に

――小学校は途中で私立校に転校したそうですが、なぜですか?

 もともと地元の公立小に通っていたのですが、小1の時に登校班でいじめを受けるなど、つらいことが沢山ありました。勉強は頑張っていたので学年でも1、2位の順位でしたが、先生に教科書の内容を質問しても「それは中学校でやれ」と言われたり、授業で「これ、わかる人」と発言を求められても「村木は手を挙げるな」と許されなかったりして、精神にも、勉強の楽しさにも限界が来ていました。

著者 開く閉じる
白石圭
白石圭

NEXT編入した私立小で「好奇心が一気に爆発」
1 2 3 4