性差別発言は許されてきた。かばわれてきた。形式的な謝罪、または謝罪もせずに開き直り、誰も責任を取らず、組織としての再発防止策を講ずることもなく、そのために差別発言が繰り返されてきた。公人の差別発言に女性たちはその都度自尊心を傷つけられ、人生の貴重な時間を奪われ苦しむが、発言した男性たちは、結局、何も失っていない。

 今回の森喜朗氏の発言は、今回限りの「失言」ではない。何十年にも何百年にもわたる性差別の積み重ねの象徴、そして許す限りコレは続くのだ、という物的証拠のようなものだ。だからこそ、ここで根を絶った方がいい。

 今、インターネットで森さんの処遇検討を求める声が、福田和子さん、山本和奈さんなどによる20代のフェミニストたちの署名ですぐにあがった。また多くのメディアがこの問題を間髪をいれずに深刻にとりあげた。海外でも多数報道され、重大問題だと伝えられたことも大きいだろう。ジェンダー平等の意識が高まっていることが、迅速で強い声になっているのだと思う。一方で、そのような批判とともに森氏を守る声も大きくなっている。このまま批判の声が終息するのを待たれている気配もあるが、今回は終息させたくない。もううんざりだからだ。

 森氏の「女性が入ると会議が長くなる」の発言には、笑いが起きたという。森さんのアレは森さん流のジョークのつもりだった……と言う人がいるが、私は森さんの苛立ちや怒りを感じた。森さんの発言の発端は、文部科学省から、日本オリンピック委員会に女性理事を4割の女性を入れることが求められたことだった。これまで男性の領域とされてきた場所に「女性を入れなければいけないのだ」とするジェンダー平等に対する取り組みへの苛立ちが、森さんにはあるのではないか。

 クオータ制など、女性をある一定数入れる取り組みに対しては、数ではない質だ、という話もあるが、であれば今いる男性政治家の質を問い直してほしいと思う。だいたい森さんの「余裕」は、単に自分が多数派という場所にいるからに過ぎない。やはり数は大事なのだ。女性が少数であれば、女性枠の中で女性が競わされ「わきまえなければ生きていけない」と考える女性が、自らの生存をかけて女性を潰す悲惨も生まれる。女性たちが自らの発言を制することなく、怯えずに自由に生きられる安全をつくるのは、女性だけの仕事じゃない。男性も一緒に取り組むべき社会の問題だ。

 森さんは謝罪したとはいえない。謝罪とはカタチではなく、責任を取ること。これ以上性差別を許す文化を広げないために、森さんの辞任を強く求めたい。

北原みのり(きたはら・みのり)/1970年生まれ。作家、女性のためのセックスグッズショップ「ラブピースクラブ」代表

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北原みのり

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北原みのり(きたはら・みのり)/1970年生まれ。女性のためのセクシュアルグッズショップ「ラブピースクラブ」、シスターフッド出版社「アジュマブックス」の代表

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