メディアの報じ方が推定無罪の原則もあるから、何度も言うけど、僕もそういう気持ちですけど、車の故障だって主張している限り、裁判で決着するしかないじゃないですか。だから、一方的に被告に対して怒っているというひとつの方向に世論を動かすというのはどうなんだろう? という疑問が自分の感情とは別で湧いてきている。

 結局、僕のような芸人やタレントがコメンテーターとしてワイドショーなどに出たりすると、ただの感情論で今回の事故に関してしゃべっている人もいっぱいいる。それを見ていて「これって推定無罪の原則もあるし、裁判中ですよ」と思う。個人的な怒りや悲しみの感情はもちろんわかるんだけど、そういう個人的な感情からくる意見で全てを報じると今回の事故以外でも、ただの魔女狩りになっちゃうんですよね。

 車という凶器を使った殺人事件だとは思うんですが、別の殺人事件、例えば何人も刺殺したとか絞殺したとか、不条理な殺意を持った殺人事件だと裁判を行わずとも罪の有無がわかることもあるじゃないですか。子どもをものすごい虐待を繰り返して死なせたとか。そういう事件に関しては、裁判中であっても感情論が先に出てきて話をしてもわかる。

 でも、今回のこの事故って、幼い命を奪い、そのお母さんが亡くなっているから憎しみとか悲しみとかもちろん僕もそういう感情はあるけれども、ちょっと、それだけで話をするのは危険じゃないかなって思うんですよ。車の中のことって調べてみないとわからなじゃないですか。

 報じるのであれば、車のメーカーもちゃんと取材しなきゃいけない。車のメーカーは、故障ということはないと言っている。データもちゃんと残っているとしている。故障したときには停止するようにできていると言う。また、裁判にも記録を出している。でも、被告本人が車の故障があったんだと言い出している。僕の中でも「嘘つくなよ!」って思っていますよ。けど、それは、裁判中だからそれで片づけてはいけないんじゃないかと思う。

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被害者への感情は抑えて冷静に