世界各国で大ヒットしている科学漫画のサバイバルシリーズ。その作者の一人で、人気のキャラクター・ジオやピピたちを描いているのが、韓賢東(ハン・ヒョンドン)さんです。小中学生向けの月刊ニュースマガジン『ジュニアエラ』で、初来日した韓さんに、漫画を描き始めたきっかけや、漫画家になるまでの道のりなどを聞きました。

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 小学生のころから漫画やアニメは好きでしたが、日本のものは知りませんでした。当時の韓国は日本文化開放(※)の前で、書店でも日本の漫画は売られていなかったし、テレビでも日本のアニメは放送されていなかったのです。

 高校2年生のとき、友達がノートに描いていた絵をすごく気に入って、聞いてみたら、「ああっ女神さまっ」という日本のアニメだと教えてくれました。彼は転校生で、前に住んでいた町が日本に近く、日本のテレビで放送しているアニメを受信できました。だから、日本のアニメに詳しかったのです。

 さっそく、彼からビデオを借りて見て、衝撃を受けました。日本語だったから話はよくわからなかったけれど、とにかく絵がきれいで、女の子がとっても美しい。「こんな絵を自分も描きたい!」「漫画家になりたい!」と思うようになりました。それまでの僕は、将来の目標も持てず、なんとなく毎日を過ごしていました。それが、すっかり変わったんです。あのとき、もしも転校生の彼がいなかったら、日本のアニメに出合えず、僕は人生の目標を持てなかったでしょう。今の僕があるのは、日本のアニメと、彼のおかげです。

 そのころ、父からは大学に進むようにいわれていましたが、まったく勉強に身が入らないので、父もほとほと困っていました。だから僕が、「漫画科のある大学を受験していいなら、頑張って勉強する」と言ったら、「大学に進学するだけでもありがたい」と思ったのか、認めてくれました。それからは一生懸命勉強しましたよ。おかげで無事に大学に合格できました。大学2年生のときには、同級生とふたりで漫画のサークルを作って、ひたすら漫画を描いていました。こんなに一つのことに打ち込んだ経験はなかったし、それが今の自分にとって何よりの財産になっています。

 卒業後は広告代理店に就職し、広告などで使う絵を描く仕事をしていました。好きな絵を描いてお金がもらえるのだから、幸せだと思われるかもしれません。でも、僕には不満でした。だれかに頼まれたものではなく、自分の描きたいものを描きたかったんです。4カ月後には、耐えられなくなってやめてしまいました。それも、途中で仕事を投げ出すような形で。若気の至りとはいえ、今は反省しています。その後、有名な漫画家の先生のアシスタントもしたのですが、やはり、ほかの人に頼まれたものを描くのは気が乗らず、長続きしませんでした。

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AERA dot.編集部
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