老舗の韓国食品スーパーが見続ける「国際都市」大久保の移り変わり (1/2) 〈dot.〉|AERA dot. (アエラドット)

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老舗の韓国食品スーパーが見続ける「国際都市」大久保の移り変わり

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韓国食材だけでなく、野菜や肉が格安なことでも知られる「韓国広場」

韓国食材だけでなく、野菜や肉が格安なことでも知られる「韓国広場」

韓国料理レストランと韓流グッズ店が軒を連ねる通称イケメン通り

韓国料理レストランと韓流グッズ店が軒を連ねる通称イケメン通り

「韓国広場」店長の尹春基さん

「韓国広場」店長の尹春基さん

さまざまな種類の唐辛子やキムチ類は一般のスーパーでは手に入らないものばかり

さまざまな種類の唐辛子やキムチ類は一般のスーパーでは手に入らないものばかり

大人気になっているキムチの試食コーナー

大人気になっているキムチの試食コーナー

韓国食品のデリコーナーは品ぞろえが豊富

韓国食品のデリコーナーは品ぞろえが豊富

 新宿区、大久保。この街は東京を、いや日本を代表する外国人街かもしれない。

 アジア系、インドや中東系、欧米系……さまざまな顔をした人々が歩く。看板に並ぶ言語も雑多だ。中国語、ハングル、ベトナム語、タイ語……ここはいったいどこの国なのだろうか。不思議な気分になってくるが、このごった煮感が楽しいともいえる。

 外国人街としての基礎をつくってきたのは、韓国の人々だ。

 きっかけのひとつは、1988年のソウルオリンピックだといわれる。この辺りには1950年代から韓国の人々が住んでいたが、オリンピックに前後して韓国社会の国際化が進み、経済力も上がってきたことから、新たに来日する人が少しずつ増えたという。

 そして1989年には海外旅行が自由化。これを機に留学生が急増した。欧米を目指す韓国人も多かったが、まだバブル経済のなかにあった日本に留学する若者も急増した。彼らのコミュニティーがあった場所のひとつが、歌舞伎町であり、大久保だ。

 大久保通りと職安通りを結ぶ「イケメン通り」と称される小道の左右には、韓流アイドルのグッズ店、韓国系のコスメ、焼き肉屋などが並び、平日の昼間でも日本人女性の姿が目立つ。

 イケメン通りを南下し、職安通りに出て、左手に見えてくるスーパーマーケットが、韓国系食材店の中でもとりわけ多彩な品ぞろえと人気を誇る老舗「韓国広場」だ。

「いつもソウルとリアルタイムで同じものを、人気商品を提供するというのがコンセプトです」

 と店長の尹春基(ユン・チュンギ)さん(48)は語る。日本に来てもう20年になるという。親や祖父の世代から日本に住んでいた、いわゆる在日韓国人ではなく、自分たちの代で韓国からやってきた「ニューカマー」だという。

「もともとは留学で来ていたんです。家内も一緒でした。当初は韓国に帰国して就職するつもりだったんですが、家内はもう少し勉強したいと。そのうち子供もできて、だんだん生活の基盤が日本になっていって、あっという間に20年ですね」(尹さん)

 食を中心とした韓国の文化を紹介したい、という思いで「韓国広場」が開業したのは1992年のこと。当初は日暮里にあった。職安通りに移ったのは1994年で、その3年後に現在の場所に落ち着いた。

 そのころ、韓国レストランなどが密集していたのは職安通りの南側、歌舞伎町だった。韓国クラブもひしめいていた。しかし2000年代初頭、当時の石原都知事は、「浄化作戦」と称して、暴力団関係者や、不法滞在の外国人などを徹底して取り締まった。結果、歌舞伎町から、職安通りを挟んだ大久保へと、韓国人たちは移っていったという。

 そんな大久保は、サムギョプサル(豚のばら肉)の焼き肉専門店がいくつかできたことや、韓流の原点ともいえる、チョー・ヨンピルやケイ・ウンスクに代表されるような「トロット」(韓国演歌)を紹介する音楽やグッズの店があったことで、韓国好きの日本人の間では「知る人ぞ知る」街になっていった。

 大久保が一気に脚光を浴びたのは「冬のソナタ」に端を発する熱烈な「ヨンさまブーム」だ。


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