(※イメージ)
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 3月20日、国会で平成26年度の予算が成立し、議論の焦点はいよいよ集団的自衛権行使を容認する憲法解釈へと移ろうとしている。

 中でも重要なキーワードとなるのは、安倍政権がこだわる「積極的平和主義」だ。ノルウェーの政治学者であるヨハン・ガルトゥング氏の定義を借りれば、「戦争だけでなく貧困や搾取、差別などの構造的暴力もなくなった状態」が積極的平和主義となる。

 だが、「安倍政権が日米同盟の深化を語る文脈で発する場合は話が違ってくる」と指摘するのは、『戦争のできる国へ―安倍政権の正体―』の著者である斉藤貴男氏だ。

 2013年12月に策定された「国家安全保障戦略」では、積極的平和主義のもと日米同盟の強化と自衛隊の増強を謳った。「米国とともにある日常的な戦時体制の構築こそが、彼らの当面の目標だと見て間違いない」と斉藤氏はみる。

 それは自民党の「日本国憲法改正草案」に、「開戦規定」がないことからも垣間見えるという。戦争ができる国にするであれば、憲法に「開戦規定」を設けるのが自然だ。ドイツもフランスも韓国もそうしている。それがないことで、いったいどんな「戦争」を想定しているのだろうか。斎藤氏は、獨協大学法学部の古関彰一教授の次のような議論を紹介する。<一旦緩急あらば、米軍が出動する。米軍が武力行使に出る場合もあれば、国際法上の戦争による“開戦”となる場合もあろうが、日本国防軍は、いずれの場合も米軍の後方支援であるので、最悪の場合でも武力行使はするが、それによって「開戦宣言をしない戦争」、つまり事実上の“戦争”が可能になる>(「自民党改憲案の書かれざる1条」―「世界」2013年5月号)

 改憲によって、開戦宣言はアメリカが担い、日本国防軍は米軍の後について補給、輸送、武力行使といった後方支援をするという、「新しい戦争」の構図が浮かび上がった。

 改憲を叫ぶ人たちは、現行の日本国憲法は米国の主導でつくられた「押し付け憲法」であり、自主憲法を制定すべきだという議論をよくする。しかし、このままでは米国に付き従うだけの憲法になりかねない。安倍政権がこのまま改憲を推し進めれば、日本は古関氏がいうように“戦争ができる国”になってしまうのだろうか――。