東京都知事選で小池百合子氏が再選を果たした。その小池氏が権力を手中に収める方法ついて、ジャーナリストの田原総一朗氏は「差別されてきた女性だからこそ駆使できるのだ」と分析する。
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この原稿が活字となって書店に並ぶときには、小池百合子氏は間違いなく2期目の東京都知事となっているはずである。立候補した時点で、すでに当選確実であった。何よりだらしないのは、他のどの候補も小池氏と争う気力はまったくなく、単に名前を売りたいだけだったことである。
ところで、石井妙子氏が記した『女帝 小池百合子』という書が、20万部という大ベストセラーになっている。私も読んだが、非常に細かく取材していて、大変おもしろい。ただし、徹底的な批判書である。この書を読んで、改めて小池氏は典型的な権力志向の人物なのだと強く感じた。
権力の世界は織田信長の時代から、勝つことがすべて、という点でまったく変わっていないと私は捉えている。負ければ、どんな弁明も通用しない。たとえ、その内容が正しいとしても、負けは負けである。
織田信長は勝つために対立する勢力をことごとく打ち破った。率直に言えば殺したわけだ。勝つためにどのような手段を駆使するか。時代によって、国によって、そして人物によってまちまちだが、正や悪など関係なく、ともかく勝たねばならない。
たとえば、田中角栄氏は金権によって権力を勝ち取り、中曽根康弘氏は、次々に代わる権力者をいかに見抜いてうまく手を組むか、という手腕で権力を勝ち取った。中曽根氏は私に、「自分は風見鶏だ。そして偉大な政治家はみんな風見鶏だ」と言い切った。小泉純一郎氏は「自民党をぶっ壊す」と、それまで誰も口にできなかったタブーを公然と言ってのけて、国民の支持を得たのであった。
小池氏は、石井氏の書によれば、力のある政治家たちを上手に取り込んでは、さらに上の政治家を取り込むために捨てていく。それを何度も繰り返して、東京都知事という権力の座に就いたのだという。