2015年に発表された前作『キャリー&ローウェル』では自身のプライベートな生い立ちや複雑な家庭環境をテーマに、アコースティック・サウンド主体で描いた。一方、ヒップホップやハウスミュージック、アフリカやブラジル音楽なども柔軟に採り入れる開かれた感覚の持ち主なだけあって、『ジ・アセンション』も本人のささやくような歌声がメインの作品ながら、アンビエントとも言える穏やかなサウンドから激しい打ち込みまで、音のバリエーションは豊かだ。
美しく清白なメロディーとハーモニーは今作品でも健在だ。だが、終始どこか不穏な空気を感じさせる作品でもある。これまでのスフィアンの作品に通底したダークネスではあるが、今作ではかなり明確に危機感を伝えているように感じる。それを象徴するのが、その名も「アメリカ」というタイトルの曲だ。歌詞は、今の時代のアメリカ社会に対する警鐘のようであり、過去のアメリカの暗黒史に対して何を学ぶのか、ということをリスナーに突きつけてくるようでもある。また、抗不安剤の名前と同じタイトルの「アティヴァン」からは、誰もが抗不安剤に頼らなければならないような社会状況を示唆しつつ、自分自身の存在が誰かの不安の材料になっているようなジレンマも感じ取ることができるのだ。
極めつきは、Tik Tokで話題を集めたアメリカの黒人の中学生ダンサーのジャライア・ハーモンがPVに出演し振り付けも担当した「Video Game」の歌詞だ。他人に簡単に同調することを拒むような、あるいは人間の価値がフォロワーやビューワー数で数値化されることへの、極めて強い抵抗の意志。それは機械に制御された暮らしから距離を取ろうとする彼自身のステートメントのようでもある。
実際スフィアンは長く暮らしていたブルックリンから同じニューヨークでも郊外に引っ越し、自然に囲まれた暮らしをするようになったという。スフィアンは言う。「個人的な変革の要求であり、僕たちの周りのシステムと一緒にプレーすることの拒否だ」。全15曲80分超えの大作。ポップ・ミュージックはポピュラー(大衆)であるからこそポップ・ミュージックであることを理解しながら、スフィアンはどのようにしてデタラメで膨れ上がった現代社会とつきあっていこうとしているのか。この『ジ・アセンション』というアルバムにはその回答が静かに刷り込まれている。(文/岡村詩野)
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