■80年代後半に イメージを一新
田村さんには、新劇や歌舞伎の俳優と比べ、「声が通らない」という評がついて回った時期がある。ところが、この弱点がテレビ時代にぴたりとはまった。80年代後半には、印象を一新し、TBS系の「うちの子にかぎって…」や「パパはニュースキャスター」シリーズなどで注目を浴びる。それまで石立鉄男の独壇場だった、いささか軽佻浮薄、親しみやすい主人公を演じて、ファンをいい意味で裏切った。時代はバブル、テレビの人気者も、仰ぎ見るスターから、身近な存在に変わりつつあった。
続いて、大人の恋愛を描いたフジテレビ系トレンディードラマ「ニューヨーク恋物語」(88年)、30歳も年下の女性に恋をしかけるバー経営者の役。田村さんだからこそ成り立つ役を、キザに、オーバーぎみな演技でこなし、その演技に照れ、はにかんでいるような表情が魅力的だった。
そして、94年のフジテレビ系「警部補・古畑任三郎」が、田村さんの代名詞となる当たり役に。こんな刑事いるわけないと思いつつ、三谷幸喜さんの脚本と田村さんの洒脱な演技を人々は楽しんだ。下敷きにした米国の人気ドラマ「刑事コロンボ」ともまた違う、日本の名物刑事が誕生した。
田村さんは、役柄に注文を出したり、「こういう役を」と自分から口にしたりすることは決してなかったという。オファーがあり、できると判断すれば、引き受け、リハーサル時からセリフは完璧に入っていた。ただ、どんな役でも髪形としゃべり方は変わらなかった。
阪妻、アラカン(嵐寛寿郎)、エノケン(榎本健一)、裕ちゃん(石原裕次郎)、錦ちゃん(萬屋錦之介)、健さん(高倉健)……。往年のスターは例外なくファンから愛称で呼ばれてきた。ならば、田村正和は? 端正なたたずまい同様、「田村正和」でしかなかった。田村正和を生き、二枚目の美学を貫いて人生の幕を下ろした。家族をもまた、完璧な共演者として。(由井りょう子)
※週刊朝日 2021年6月4日号