ジャーナリストの田原総一朗氏は、「天才マルクス兄弟」とのやり取りを思い返す。
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池上彰氏と佐藤優氏の共著『真説 日本左翼史 戦後左派の源流1945-1960』を読んだ。「『左翼』は何を達成し、なぜ失敗したのか。」と帯に大書している。非常に共感できる書であった。
その中で、佐藤氏が「当時の共産党にいた若い世代で最も知的なエネルギーを発揮できていたのが、『天才マルクス兄弟』と呼ばれていた、上田耕一郎と、その実弟の不破哲三だ」と強調している。
<共産党では、宮本顕治氏に自己批判を出されたが、あの二人は飛び抜けて知的で、特に上田のほうは、理論家としての水準が極めて高くて、スターリン批判初期の様々な論争にも絡んだ人でした。上田耕一郎は2008年に81歳で亡くなりましたが、不破哲三は2021年現在も存命です。不破を超えられる人はあの党からはもう出てこないでしょう。党内では「不破の神格化」が進んでいると言えます>
このように書かれている上田耕一郎氏と不破哲三氏には、私も特別に関心を持ち、2人に何度も真剣な討論を吹っかけている。
まず上田氏は、西武百貨店の経営者であった堤清二氏と大変仲が良かった。
堤氏は弟の義明氏と並んで、西武グループの統領であったが、晩年までマルクスの信奉者でもあった。西武百貨店の社員たちに労働組合を作らせたのは、実は堤氏だったのである。堤氏は、父親である康次郎氏の大批判者であり、経営者である自分にも疑問を持ち、悩み続けていた。
ところで上田氏だが、私は、人間としても上田氏の理念も信頼していた。だが、共産党のあり方にはいろいろ疑問を抱いていた。
私は中学生のころから、最も信頼していたのは共産党であった。
共産党は太平洋戦争に最後まで反対し続け、宮本氏ら幹部は、敗戦で占領軍が進駐してくるまで、刑務所に入れられていた。占領軍が、彼らを解放したのである。だから、国民のほとんどが米軍を占領軍、進駐軍と呼んでいたが、共産党だけは解放軍と話していた。