作家の北原みのりさん
作家の北原みのりさん

 肩がずきずきと痛み、悔しさに頭が真っ白になった。「そうされてもいい人」と、他人に扱われたことの屈辱と、暴力を振るった側が、まるでこちらに非があるかのように行為を正当化する二重の暴力に衝撃を受けた。そしてこの原稿を書いていて一抹の不安を感じるのは、「北原が道の真ん中を歩いていたんじゃないのか?」「携帯見ながら歩いていて邪魔だったんじゃないのか?」と、暴力を正当化する声が聞こえてきそうなことだ。実際、このような被害をSNSで公開した女性たちがたたかれるようなケースをいくつも見てきた。被害を被害と言う口を塞ぐ二次加害である。

 たとえ百歩譲って私が邪魔だったとしても、女性を狙う男は、スーツを着ている男性や、見るからにキレそうな男性にはしない。選んでいる。そしてたとえ私がどんな歩き方をしていたとしても、見知らぬ人から暴行を受けていいはずがない。女として生きているということは、他人にカラダを触られたり、性的なからかいを受けたり、突然殴られたり……安全ではない社会を生きているということなのか? ミソジニーが相当深まってしまっている、残念ながら。

 とはいえ、「それは偶然。彼の機嫌が悪い時に通りかかった人が、たまたま女だった」とか、「それは偶然。その日、事件沙汰になった加害者がたまたま男の人だったというだけ。女の人に暴力を振るわれる男性もいます」という、“偶然”とか“たまたま”を主張したがり、被害の背景にある女性嫌悪を否定する傾向は、なくなりつつある。「幸せそうな女性を殺したかった」と警察で供述した事件の容疑者の言葉が報道されるなど、女性が女性ゆえに狙われる事件が可視化されてきている。「そういう事件があるのだ」という、怖い事実ではあるけれど、見過ごしてはいけない現実だということが見えてきた。

 女性や子供=父・男に守られるべきもの、という「建前」によって、家父長制は支えられてきた。暴力は見えないものにされ、たとえ暴力を振るわれたとしても「あなたにも原因がある」と加害者と被害者を対等に語ることに、私たちは慣れてきた。そういう社会で、暴力を振るう側の動機は消され、常に被害者の女性側が「問題」を引き起こすとされがちだ。

 見ず知らずの女性が狙われる暴力は、たとえ事件化されていなくても日常的に起きている。その後に彼らの動機が語られることはほとんどない。なぜ、あなたは女性を狙わずにはいられないのか。たまたま、というにはあまりに多いこの手の事件の動機を、男性たちが語ることによってしか、この社会はこの暴力をなくせないのではないだろうか。

北原みのり(きたはら・みのり)/1970年生まれ。女性のためのセクシュアルグッズショップ「ラブピースクラブ」、シスターフッド出版社「アジュマブックス」の代表

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北原みのり(きたはら・みのり)/1970年生まれ。女性のためのセクシュアルグッズショップ「ラブピースクラブ」、シスターフッド出版社「アジュマブックス」の代表

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