──メディアについてはこう話す。
「スポンサー選定について検証すべきなのに機能しなかった。批判的な視点があって初めて『オリンピック・ムーブメントにおいてメディアがスポンサーになる』意味が発生するのですが、そのチャンスを残念ながら逃してしまいました」
──そして、組織委の体制そのものにも言及する。
「捜査中という制限があっても、スポンサーの原則的な決まり方、その原則と今回贈収賄罪に問われている企業との違いは明確に示されてもおかしくない。『正しい基準』がわかって初めて、何が悪かったのかがわかるからです。でも、今はその基準が外からは見えません」
「第三者機関を置いてモニタリングする体制が必要でした。スポンサー選定に関わるマーケティング部門に電通からの出向者が多いことがよく指摘されますが、専門知のあり方からすれば一定の合理性はある。ただ、その専門知をどう使うかということです。元専務で『声の大きな理事』がいて、電通内の上下関係を組織委の中にも発生させる体制になってしまったことが問題でした」
■強い姿勢が見えない
──森氏が辞任した後、組織委を変えるチャンスはなかったのだろうか。森氏の影響力を理事たちが感じることはあったのか。
「直接にはありません。ただ、日本の多くの組織に見られる忖度(そんたく)文化──一人ひとりは『このほうがいいのに』という声を持っていても、声の大きな権力のある人に忖度して黙る傍観者となってしまい、意思決定プロセスをたどる中でその声は消えていく。そんな文化、時代の古さみたいなものが、森さん辞任後の組織委にも強く影響して残っていたのだと思います」
──一方、竹田氏は五輪招致をめぐる贈賄疑惑でフランス当局の捜査対象となり、それが19年6月のJOC会長退任につながった。疑惑まみれの五輪にしたスポーツ界の課題は何か。
「本当ならJOCやNF(国内競技連盟)が一緒になって、必死になって原因を精査する取り組みをしてもおかしくないと思います。汚されたのは何よりも自分たちの舞台ですし、フェア(公正)を最も大切にする集団のはず。『どうすればフェアに行えたのか』に無関心であってはいけないと思うのですが、まだその強い姿勢が見えません」