ロシアのプーチン大統領(gettyimages)
ロシアのプーチン大統領(gettyimages)
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 多くの残虐な行為が連日伝えられるロシアによるウクライナ侵攻。停戦交渉の行方が注目されるが、そもそもなぜ欧米諸国はプーチン大統領の暴挙を阻止できなかったのか。AERA 2022年4月25日号の「世界情勢」特集で、安全保障の専門家であり、トランプ前米大統領の補佐官を務めたジョン・ボルトン氏が解説する(前後編の前編)。

【写真】解説したジョン・ボルトン氏

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 ロシアのプーチン大統領がウクライナ侵略を考えたのは、浅い思いつきではありません。

 その根拠は過去にさかのぼります。2008年のジョージアへの侵攻、14年のクリミア占領の際、米国は何もせず、(西側での)米国への信頼がその後、高くはなくなったためです。21年夏のアフガニスタン撤退(の失敗)は、バイデン米大統領を無力な人物に見せました。

 プーチンは、ウクライナ侵略の機会を長年待ち構えていました。彼は20年11月の米大統領選挙で、トランプ前米大統領が再選を果たすかどうか見極めようとしていたと思います。トランプは一貫して北大西洋条約機構(NATO)を批判し、脱退寸前までいきました。トランプが再選すれば、プーチンは(NATOの弱体化という)利を得続けることができました。

 しかし、トランプは負けた。そこでプーチンは21年夏、バイデンと3時間半の首脳会談をした後、彼の品定めをし、準備期間を経て、22年2月24日の開戦に至ったのだと思います。

■プーチンを抑止できず

 今回、米国とNATOの最大の瑕疵(かし)は、ロシアのウクライナ侵略を防ぐために事前に十分な「抑止」行動を取らなかったことです。

 バイデンは何度も、ロシアに対して経済制裁の可能性があると脅し、政権閣僚もそれはプーチンを抑止する意図だと言っていました。欧米はロシアの侵略前に、最も厳しく、迅速な制裁を科すと公言していました。

 でも、それは違いました。(開戦の)2月24日から、米国と西側諸国が行ってきた全てを、なぜ2月25日にできなかったのですか? プーチンの感触としては、米国と欧州が準備不足だと思って当然です。

 さらに、私たちはウクライナに対し、十分で最適な軍事支援さえしていません。

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