「人種・民族に関する問題は根深い…」。人種差別反対デモ、ウクライナ問題などを見てそう感じた人は多いだろう。差別や戦争、政治、経済など、実は世界で起こっている問題の“根っこ”には民族問題があることが多い。芸術や文化にも“民族”を扱ったものは非常に多く、もはやビジネスパーソンの必須教養と言ってもいいだろう。本連載では、世界96カ国で学んだ元外交官・山中俊之氏による著書、『ビジネスエリートの必須教養「世界の民族」超入門』(ダイヤモンド社)の内容から、多様性・SDGs時代の世界の常識をお伝えしていく。
ロシアとドイツの狭間で苦しんだポーランド
東ヨーロッパの民族を理解する上で、「政治に翻弄された歴史」を象徴する存在が、大国に分割され、二回も国家が消えた悲劇の国・ポーランドです。
14世紀頃にはヨーロッパの強国であったポーランドは、ドイツ系、ユダヤ系の移民を多く受け入れ、ハンガリー、ウクライナへと領土を拡大しながら、16世紀にはポーランド・リトアニア共和国となっていきます。
宗教改革でプロテスタントが誕生してもなおカトリックの国であり、1981年に来日したローマ教皇ヨハネ・パウロ2世はポーランド人です。主流はカトリックとはいえ、広大な領土だったポーランド・リトアニア共和国には、異なる宗教を持つ多くの民族が住んでいました。
18世紀の終わり、ウクライナに住むコサック人、リトアニアに住むイスラム系のタタール人に独立の機運があり、国は弱体化していきます。さらに、大国ロシアとの戦争に敗れます。
結局ポーランドは、ロシア、オーストリア、プロイセンという“強すぎる隣人たち”によって1795年に三つに分割されます。独立を求める民族蜂起も失敗に終わり、事実上、国が消滅しました。
ポーランド出身のショパンの「革命のエチュード」は、ポーランド消滅時代のロシアのワルシャワ侵攻をきっかけに作られ、ポーランドの人々の苦しみが音楽によって表現されているといわれています。
私がワルシャワにあるショパン旧居に足を運んだ際は、調度品などから政治に翻弄されたポーランドを愛する思いが伝わってくるようでした。
その後、第一次世界大戦でドイツ帝国が敗戦したことで、ポーランドは復活します。ドイツに奪われていた西の領土を取り戻したのも束の間、第二次世界大戦が起こると、今度はヒットラーとスターリンのパワーゲームの獲物となり、再び分割されました。
ナチス・ドイツ占領下のポーランド人は差別と搾取に苦しみますが、最大の悲劇はポーランドに多く住んでいたユダヤ人たちでしょう。
在住者のみならず、ヨーロッパ全土のユダヤ人がアウシュヴィッツ強制収容所に運ばれました。ソ連に占領された東側のポーランド人は、亡命する者、殺害される者、強制移住を命じられる者と、世界に散りました。
「ポーランド」の国名は「平坦な土地」というニュアンスの言葉からきています。それは、現在「EU有数の農業国」として成功している好条件でもありますが、乱世にあっては「簡単に攻められる国」という地理的な悪条件でした。