二十四節気・立秋も今日までとなりましたが、まだ秋と夏が行ったり来たりの日々ですね。74年前の今日、「涼しい風だね」と最期の言葉を残し、浪漫主義を代表する詩人・小説家の島崎藤村(1872~1943)がこの世を去りました。晩年を過ごし、埋葬された大磯の地福寺と信州の菩提寺(遺髪と遺爪が収められている)では、それぞれ毎年忌日に供養が行われています。今日は藤村が吟じた「詩」を頼りに故人を偲びたいと思います。
この記事の写真をすべて見る詩人として文壇に登場「若菜集」
島崎藤村(1872~1943)は、現在の岐阜県中津川市馬籠の旧家の末っ子として誕生し、9歳で学問のために上京しました。親せきの家から日本橋の泰明小学校に通い、明治学院普通科へ進みます。この時代にプロテスタントと出会ったことが後の作品へ影響を与えたと考えられます。卒業後は明治女学校(東京)の教師をしながら、日本初の女性雑誌「女子雑誌」に詩やエッセイなどの寄稿を始めます。その後、雑誌「文学界」の立ち上げにも参加しました。東北学院(仙台)へ移り教師をしていたころに、処女作の「若菜集」を出版しました。「若菜集」と言えば、「初恋」が浮かぶ方が多いのではないでしょうか。
初秋の優しい景色が浮かぶ『初恋』
『初恋』
まだあげ初めし前髪の 林檎のもとに見えしとき
前にさしたる花櫛の 花ある君と思ひけり
やさしく白き手をのべて 林檎をわれにあたへしは
薄紅の秋の実に 人こひ初めしはじめなり
わがこゝろなきためいきの その髪の毛にかゝるとき
たのしき恋の盃を 君が情に酌みしかな
林檎畑の樹の下に おのづからなる細道は
誰が踏みそめしかたみぞと 問ひたまふこそこひしけれ
日本人になじみ深い七五調を文体で、初恋の甘酸っぱさを描いています。「薄紅の林檎」が育ち切っていない少女の初々しさを感じさせます。「若菜集」には他にも少女をモデルにした詩が多く収められていますが、「初恋」は秋を感じさせ、浪漫主義の詩として外せない作品と言えるでしょう。
友との語らいから生まれた詩「椰子の実」
ある時、友人で民俗学者の柳田國男が渥美半島で浜へ打ち上げられた椰子の実の話を藤村に聞かせました。そこから生まれた詩が「椰子の実」です。藤村自身は見ていない景色を、柳田からの話を元に想像力と表現力をもって作った作品です。この詩は後に曲がつけられ、唱歌となりました。今でも時折CMソングなどに起用されていますので、耳にしたら「知ってる!」と思われる方が多いことでしょう。舞台となった渥美半島の浜は、今では「恋路ヶ浜」と呼ばれて恋人たちの聖地となっています。
当初は詩人として活躍していた藤村ですが、結婚・子供や妻の死を経てやがて小説家へと転身します。「破壊」や「夜明け前」が著名ですね。昭和10年には日本ペンクラブの初代会長に就任しました。
最期を迎えた時に小説「東方の門」を執筆中だった藤村。大磯の自宅で原稿の進み具合を気にしながら「涼しい風だね」とつぶやき、二度目の妻に看取られて亡くなりました。享年71歳。大磯には今日も涼しい風が吹いているでしょうか。
参考・出典
『藤村詩集』 島崎藤村 新潮文庫
『藤村記念館』公式サイト(下記リンク)
『旧島崎藤村邸』isotabi.com