作家、コラムニスト/ブレイディみかこ
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 英国在住の作家・コラムニスト、ブレイディみかこさんの「AERA」巻頭エッセイ「eyes」をお届けします。時事問題に、生活者の視点から切り込みます。

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 社会派映画とは最も遠いジャンルの作品が、期せずして世界情勢のアレゴリーになっている。今、英国で、そうした文脈で語られているのが「ブリジット・ジョーンズの日記 サイテー最高な私の今」(4月日本公開予定)だ。9年ぶりのシリーズ第4弾は、英国でロマコメ映画のオープニング興行収入記録を塗り替えている。

 このシリーズは、恋愛や仕事、友情を通して成長していくロンドン在住の女性の姿を描いたものだ。これまでは、主人公のブリジットがどんなに揺れ惑っても、必ず両腕を広げて抱きとめる恋人がいた。安定感のある人権問題の弁護士、ダーシーである(ちなみに、弁護士時代のスターマー首相がモデルだったという噂が立ったこともある)。

 ところが最新作では、頼りになるダーシーは冒頭から死んでいる。ブリジットが最愛の夫を亡くし、シングルマザーになったところから始まるのだ。

 このシリーズの原作コラムは、1990年代に始まった。ブリジットの政治への関心は薄く、労働党は「分け合うこととか親切とか、ゲイとかシングルマザーとかネルソン・マンデラの味方であるのは明らか」と日記に書く程度だった。冷戦が終わり、ブレア政権を経て、「いろいろあったとしても、基盤はリベラルデモクラシー」と誰もが信じていた時代。そんな時代を駆け抜けたヒロインの恋人には、人権弁護士の設定が相応しかった。それは、権力者は法の上に存在すると公言する米大統領が出てくる前の時代だった。大統領令でいきなり対外援助が停止される時代が来るなど誰も想像しなかった。海外で人道支援中に地雷が爆発して亡くなったという、新作におけるダーシーの死因の設定までがどこか皮肉に聞こえてしまう。

 映画は数年前から準備されていたので、これらは意図されたことではない。が、ある世代から上の人々は、ダーシーの死と一つの時代の終焉を重ねずにはいられない。軽いタッチのロマコメが、今回はどこか物悲しいと評価される所以だろう。

 英国では同週に「キャプテン・アメリカ」シリーズの新作が公開されたが、ブリジットの新作のほうが遥かに高い興行収入を叩き出したのも示唆的である。

AERA 2025年3月17日号

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