ここ数日めっきり涼しくなり、本日9月22日は国民の祝日「秋分の日」、二十四節気では「秋分」となりました。「秋分」が(23日でなく)22日になるのはなんと、1896年以来116年ぶり(周期が変わり、これから22日になる頻度が高くなるのだそうです)。また本日は、秋の彼岸の中日でもあります。彼岸と此岸が最も通じやすくなるというこの日、お墓参りへ赴く方も多いのではないでしょうか。墓前にもたむけたい時節の花の趣を、その花の句と共に綴ります。

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女郎花(をみなへし)少しはなれて男郎花(をとこへし)

秋の七草のひとつ女郎花は、控えめながらもたおやかな風情がある草花。日当たりのよい草地などに生育する大型の多年草で、茎頂で枝を分けたその先に、小さな黄色い花を咲かせます。
「目を大きく開いても、じきにぼうと霞んでしまいそうなのがこの花で、丈のある細い茎の上に咲いた女郎花から、私はよく扇を開いた女の舞姿を連想する」とは、作家・竹西寛子さんがこの花に寄せて綴った一節。
いにしえ人に好まれた女郎花。この花の趣を詠んだ歌は古今和歌集にも多く集められています。平安の貴族たちは、物合(ものあわせ)という優雅な遊びを楽しんでいたようですが、その中のひとつが「女郎花合(おみなえしあわせ)」。和歌を添えた女郎花の花を持ち寄って、優劣を競ったのだそうです。
また、「女郎花」の語源は、オンナメシ(粟飯)からという一説も。よく似てはいるが姿が逞しい「男郎花(おとこえし)」の花は白く、こちらはオトコメシ(男飯・米)からこの名がつけられたとか…。
「女郎花少しはなれて男郎花」は、高浜虚子の次女、昭和期の俳人・星野立子(たつこ)作。自然を伸びやかに写生したこの一句から、女郎花がすっと自らの力で凛と咲く秋の野が、鮮やかに目に浮かぶようです。

白菊に黄菊のちぎり深緑

日本の春の花の代表が桜とすれば、秋の代表は「菊」だといわれます。
古く中国から渡来し、観賞用に広く栽培され、食用としても薬用としても親しまれる菊。9月9日の重陽の節句では、菊酒や菊の着せ綿で長寿を願う風習もあり、貴人たちに好まれた格の高い花。なんとなく現代では仏花としての印象が強く、ブーケにするにもつい避けがちな菊ですが、別名「チギリグサ」「ヨワイグサ」とも呼ばれ、いきいきと生命力みなぎるこの花に、めでたさ、祝意を込めることも多いようです。
「白菊に黄菊のちぎり深緑」は、高浜虚子の句。
とこしえを表す深緑に、幾久しいしあわせをかけた寿ぎの一句は、秋の佳き日に契りを交わした新郎新婦に贈られたのでしょうか。

曼珠沙華(まんじゅしゃげ)抱くほどとれど母恋し

ちょうど秋の彼岸のころ、里の畦を、河原の土手を、突如として燃え上がるような深紅に染める「彼岸花(ひがんばな)」。「曼珠沙華」とも呼ばれる幻惑の花は、極楽浄土に咲く花。死人花と呼ばれることもあります。
やはり虚子門下、「ホトトギス」を通じて起こった女流俳句興隆気運の中から踊り出た一人・中村汀女がよんだ句が「曼珠沙華(まんじゅしゃげ)抱くほどとれど母恋し」。
いくつになっても、たとえこの世で再び会うことが叶わなくとも、いつまでも恋しく感じられる母という存在への思慕。彼岸に緋の花弁を広げる花のあでやかさの中に潜むはかなさに託した想いが切々と感じられてなりません。
毎年、高麗川沿いの雑木林に約500万本もの曼珠沙華が咲くという埼玉県・高麗の巾着田も、ちょうど見ごろを迎えているでしょうか。真っ赤に沈む夕日にも似た荘厳な花の風景の中にたたずんで、そっと心の中で手を合わせたくなるような。ふと、そんな思いにかられる秋分、秋の彼岸の中日となりました。

※参照&引用
俳句によまれた花(竹西寛子著・潮出版社)、植物ごよみ(湯浅浩史著・朝日新聞社)