世界には現在約6000種のトンボが知られていますが、日本で見られるものは約220種。これはヨーロッパ全土よりも多い種類です。日本は古来よりトンボ王国でした。日本書紀や古事記ではかつてはその名も「おおやまととよあきつしま」(「大倭豊秋津島または大日本豊秋津洲)といわれたという記載があります。「あきつ」はトンボの古語。「あきつしま」とは、トンボの島を意味します。そんなトンボ王国でも、特に8月から9月にはトンボの数がピークになります。いわゆる「赤とんぼ」が数多く見られるようになるためです。誰もが知り、見たこともあるはずの赤とんぼ。童謡「赤とんぼ」も、知らない人はいないでしょう。でもそんな赤とんぼ、ホントは何ていうトンボなのかご存知ですか?
この記事の写真をすべて見る「赤とんぼ」は何トンボなのか・メジャー童謡をめぐる議論
そもそも赤とんぼという名前のトンボはいません。赤とんぼは、広い意味では赤い色やオレンジ色など赤みがかった色のトンボすべてを指す俗称、狭くは トンボ目トンボ科アカネ属(Sympetrum)に属するトンボ(日本だけでも21種)の総称、さらに狭くはその中でもアキアカネ(Sympetrum frequens)のみをさす場合などさまざま。また、赤とんぼといわれるトンボも、季節や性別により赤くなかったりもするので、赤とんぼの代表格アキアカネを見かけても赤とんぼと気づかなかったりとややこしい。ほとんどの人は漠然とした「赤い色のトンボ」=赤とんぼと思っているでしょう。
夕焼け小焼けの赤とんぼ 負われて見たのはいつの日か
夕焼け小焼けの赤とんぼ とまっているよさおの先
童謡「赤とんぼ」も、そこで歌われている赤とんぼとはどの種なのか、長年にわたり真面目な(?)議論が行われてきました。というのも、赤とんぼの代表である秋に真っ赤になるアキアカネは夕方にはあまり飛ばないという習性が知られるため「夕焼け小焼けの赤とんぼ」という歌詞に矛盾する、と指摘されたためです。
そこでまず、夕焼けの中でよく飛ぶのを見かけるギンヤンマなどが夕日を浴びて赤く見えた、という説が主張されました。一方で、夕焼けが早く訪れる東北などでは、夕焼けの時間帯とアキアカネの群飛が一致し、そのような風景が見られる、という反論がなされ、「やはり赤とんぼの歌のトンボは日本特産種のアキアカネがふさわしいし、きっとそうにちがいない」と論争は終止符を打ったかに見えました。
が「このトンボはウスバキトンボではないか」という説が新たに浮上します。三木の故郷は兵庫県龍野。西日本では、アキアカネよりもウスバキトンボが一般的で、秋には群れをなして飛ぶのも見かけるのはウスバキトンボだからです。そして西日本ではこれも赤とんぼといわれるトンボなのです。現代の私たちも「あ、赤とんぼ」と言って指差すとき、このウスバキトンボだったりすることが多く、ごく一般的に見かける中型の薄オレンジのトンボです。
ウスバキトンボ説の弱点は「止まっているよさおの先」で、ウスバキトンボは物にとまるときに何かの先端に体を水平にしてとまるのではなく、枝の途中や葉などにお尻を下にしてぶらりとたれさがってとまることが多いため、歌のイメージと矛盾するという指摘です。これについては、三木露風がこの歌を着想したのは、さおの先端に止まっている赤とんぼ(アキアカネ)を見て、子供の頃に夕焼けの中見たトンボが飛んでいる様子を思い出した時だ、と回想していることから、さおの先にとまるトンボと、夕焼けに飛ぶトンボが別のイメージの組み合わせであると説明されました。
つまり、目の前のさおの先に止まる「アキアカネ」をきっかけにして、遠い昔の子供時代に見た「ウスバキトンボ」の群舞を思い出した、というのが真相のようです。
海を渡って死出の旅を繰り返すウスバキトンボの不思議な生態
このウスバキトンボ(薄羽黄蜻蛉 Pantala flavescens)は、世界でもっとも分布域の広い、別の言い方をすればありふれたトンボです。アジア全域から南北アメリカ、アフリカ、ヨーロッパにまで分布域があります。
しかしながら、毎年東南アジアから大量に渡りをしてきて、秋の終わりまで途中で世代交代をしながら日本列島を北へと縦断しながら渡っていき冬の訪れとともに死滅することを繰り返す不思議なトンボなのです(越冬の北限は八重山諸島)。トンボは普通、卵から成虫になるまでにヤンマなどでは1~3年かかり、成長の早い種でも半年ほど。しかしウスバキトンボは夏の環境下では卵からヤゴを経て1ヶ月で成虫になります。つまり2ヶ月弱で世代交代が可能なのです。北上しながら三世代ほどを繰り返して、その年に海を越えて来たものは、日本で生まれたものも含めて全てその年の内に死滅してしまいます。アキアカネのように卵での越冬も出来ません。なぜ毎年「死ぬためだけのために」南から渡ってくるのか、理由はわかっていませんが、ウスバキトンボたちはその旅の行程で害虫を食べ、また小鳥たちや他の生物のエサにもなって村里の生態系の一助となります。まるで、人々の農耕や実りを助けてくれているように。
西日本では、お盆月の八月に渡ってきた群れと夏の間に当地で成虫になった新世代の発生が重なり大群舞する様が見られ、そんなウスバキトンボを「精霊(しょうろう/しょうりょう)トンボ」「盆トンボ」と呼び、ご先祖様が化身をしてお盆に訪れたものだとする民間信仰がありました。
こう考えてみると、「赤とんぼ」の詩の中のトンボが、アキアカネの姿と重なって思い出されたウスバキトンボであろう、というのは、いかにも日本の田園の原風景の歌としても、ふさわしいような気がしませんか?
「ウスバキトンボ文化圏」と「アキアカネ文化圏」赤とんぼは日本人の死生観、来世観にも関わっていた
ところで、西日本ではウスバキトンボが先祖の化身の「精霊トンボ(盆トンボ)」であるのに対して、東日本ではちがいました。東日本にも「精霊トンボ」にあたるトンボの信仰がありますが、それは主に夏に家に侵入してくるオニヤンマなどのヤンマ類をさすことが多く、神奈川の昆虫家は、自身の祖母がお盆の時期、オニヤンマを見かけると「ほら、今年もご先祖さんがもどってきた」と真顔で言っていたと述べています。
このように、日本の西半分と東半分では、精霊トンボについての信仰形態が大きく異なり、その分かれ目はほぼ愛知・岐阜付近の中部地方、いわゆる西日本文化圏、東日本文化圏といわれる区分域と重なる、という興味深い指摘が、行徳トンボ研究室の互井賢二氏により提言されています。
面白いことに、西日本文化圏の祖先信仰、あの世のイメージは「海彼他界」であり、それは海の彼方にあの世があり、死者は海の彼方に帰っていく、という信仰です。恵比寿神や沖縄の「ミロク」などの海の彼方からの来訪神の信仰は、西日本に集中しています。そしてだからこそ、海の彼方からやってくるウスバキトンボに先祖の化身を見ることになったというわけです。
一方、東日本文化圏は、急峻な山岳が多く、「山中他界」といわれる、山の上にあの世があり、先祖たちは山の上に帰っていく、という信仰が強く現れます。そして、それに呼応するかのように、夏の間高地の山で過ごし、秋の訪れとともに繁殖期を迎えて平地の田んぼや町に下りてきて飛び交うようになるアキアカネは、お彼岸にあわせて山から下りてきたご先祖様の姿のように見立てられ、「彼岸トンボ」と呼んで先祖の化身として扱う文化を形成するわけです。盆トンボとして扱われるヤンマ類も、近隣の山や森から現れますから、先祖の化身として扱われたということではないでしょうか。
古来、農耕民であった日本人は田んぼの益虫であるトンボを田の神としてあがめ、「カミサマトンボ」というトンボがあったり、岡山県では赤とんぼをお盆の時期に捕るとその家にはお盆が訪れない、などと言う戒めもありました。アイヌや北米ネイティブアメリカンにも、トンボを大切にし、殺すことを禁じる風習があります。
そんな日本の各地で、トンボが近年減ってきているとか。理由はいうまでもなく、トンボたちの生息に必要な水場(池、川、田んぼなどを含む里山)が減ってきていること。彼らが少なくなるということは、人間に取っての害虫、蚊やハエなどが増殖するということです。なんとトンボは、あのスズメバチも襲って食べるつわものなのです。近年スズメバチ被害が増えていますが、まさに天然の守り神であるトンボを保護することは、人間の環境にとっても必要なことなのではないでしょうか。