父の背中を見続けた学生時代(写真/本人提供)

就職ではどこかへ入って何年かしたら、ハウス食品へいくと決めていた。では「修行」をどこでするか。ハウスの社長が銀行を勧めた。住友銀行丸の内支店に約4年、次に本部の証券企画部へいき、97年5月に退職。7月にハウス食品へ入った。

 社歴のなかで思い入れのあるのが、経営企画室だ。社長のいまも、経営企画部門の担当の兼務を続けている。02年4月に社長が交代し、経営企画室長兼営業副本部長に就くと、新社長に言われたのが、ハウス食品で初の中期計画(中計)の策定だ。中計は、翌年4月に始まった。

ラーメン事業再建に赤字の生産を停止反対を説いて実現

 だが、業績が厳しくなり、夏には社長から経営会議で「この状況で何をやらなければいけないか、それぞれ私へ提案せよ」と指令が出た。考えた案の一つが利益の出ていないラーメン、スナック菓子、ミネラルウォーターの3事業の見直し。どれも自社でつくる限りは、一定の固定費を抱え、黒字化は難しい。

 ラーメンは、地産地消型「うまかっちゃん」をつくる福岡工場は収益がいいので残し、全国向け製品を手がけながら赤字だった栃木県の関東工場のラーメンの生産は止め、代わりに他社にハウス食品ブランドでつくってもらうOEMにする。ミネラルウォーター事業は売却し、スナック菓子からは撤退する。

 そんな案に、社長はまずラーメン事業の集約を選ぶ。当然、関東工場の関係者が反対した。でも、『源流』を生んだ「父の背中」が示した責任感が、説得する力を育ててくれていた。

 社長の指令はトップ就任への試験だったのかもしれない。だが、そう感じたことはない。関係部門の調整に苦労したが、貴重な経験だ。いまも経営企画部門へ新メンバーがくると、ラーメン事業集約の話をする。

 09年4月に社長になると、3次中計に「選択と集中」をうたい、社内の求心力を高めた。父の急死以来23年8カ月ぶりに出た創業家からの社長は、中計でうたうキーワードを「変革」へと変え、自らを父と比べてみてきた『源流』からの流れを広げて、新たな地平へと踏み出している。(ジャーナリスト・街風隆雄)

AERA 2024年12月30日-2025年1月6日合併号

[AERA最新号はこちら]