16年に独立した後も仕事は順調だったが、次第に「要望を全て叶えるのが優秀」という考えは、自分の勘違いだったと悟り始める。取材先やスタッフを犠牲にしてでも、番組のために無理を通そうとするクライアントがいたのだ。例えばオーロラや希少生物を見に行くといった、運に左右されやすい企画でも、見られなかった時の代替案は考えず、「何としてでも撮れ」とごり押しする。しわ寄せを受けるのは、西山や末端のスタッフだ。
「この場面を撮れなければ番組が成立しない、という状況は、スタッフに過剰なプレッシャーを与える上に、撮れなかった時に過激な演出ややらせを招きやすいのです」
あるプロデューサーは、番組で取材していた老夫婦から「知らせたいことがある」と言われた時、「悪いニュースだったらいいな」とつぶやいた。その方が番組が盛り上がると思ったのだろう。西山はこうした制作者の態度がどんどん許せなくなり、現場でけんかばかりするようになっていた。
そんな中で、西山がコーディネーターとして関わったある番組に「やらせ」が発覚。番組は放映休止となり、テレビ局側が陳謝した。しばらくすると、番組は何ごともなかったかのように復活したが、西山も含め、やらせの責任を取る必要のないスタッフは外されていた。
20年2月のある夜、タクシーに乗ると、運転手にこう話しかけられた。
「今日で引退するので、あなたが最後のお客です」
西山が「仕事はどうでしたか?」と聞くと、運転手は「すごく楽しかったです」。
私は今の仕事を続けて、引退する時「楽しかった」と言えるだろうか──。
西山は翌日、クライアントに休業宣言を出した。奇しくもコロナ禍が始まり、海外ロケはすべてストップ。そんな時に友人から、ICの資格取得を勧められた。
■ICという新しい仕事 気を遣うあまり及び腰に
ICについての知識はまったくなかった。調べていくうちに、性的なシーンで不本意な演技を強いられる俳優と、理不尽な要求を突き付けられる取材先やスタッフは、人権を蔑(ないがし)ろにされる点が共通していると気づいた。
「ICの知識を得ることで、自分の中にあるさまざまなモヤモヤを整理できるのではないかと感じたんです」
ICになるためには、専門機関でのトレーニングが必要だが、まだ日本にはその団体がない。米国のIPA(Intimacy Professionals Association)に登録し、トレーニングを受けた。約3週間、午前中はオンライン講義を受け、午後は講義を復習して宿題の小テストをこなす。膨大な課題図書も読みこなし、無事資格を取得した。
ICの仕事を始めた当初は、この新しい仕事を現場に受け入れてもらわなければ、という気持ちが強かった。あまりしつこく意見すると、「面倒くさい」と疎まれるかもしれない。忙しい監督や俳優を煩わせてもいけない。気を遣うあまり、関わり方が及び腰になった。すると、ある俳優がぽつりと言った。
「ICが入っても、やりたくないことはやらなきゃいけないんだね」
西山はこの言葉に「自分はICとして、なすべき仕事を半分もできていない」と痛感する。それからは現場で堂々と自分の意見を言い、監督や俳優とも、時間をかけて積極的に関わるようになった。すると相手からも「こういう話をしたかった」と喜ばれたという。監督も俳優も実際は、良い作品を撮るための話し合いはいとわなかった。
(文中敬称略)
(文・有馬知子)
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