「なんでも好きなの頼みな。俺と一緒のときは遠慮するなよ。ただ他の先輩にご馳走になるときはその人と同じものか、それより安いものを頼みなさい。俺と一緒のときはなんでもいいからな」
師匠と同じ天ぷらそばを頼んだ。立ち食いのかき揚げののった天ぷらそばしか知らなかった私は海老の大きさに目をみはって「海老ですね」「えびだろ」「海老かー」「嫌いか?」「いえ、大好きです!」「ここんちのはデカいんだ」。
お店のことを「ここんち」と師匠は言った。
外に出ると、「まぁ今日はこんなとこだなー。これで帰りな」と千円札を師匠がくれた。「また明日。同じ時間に来な」
師匠を見送って、浅草から池袋まで歩いて帰ったっけ。部屋に戻ってさっきの千円札を空のインスタントコーヒーの大瓶にしまって蓋をする。
コンビニで小さなメモ帳を買ってきた。今日会った人の名前。名前がわからない人はその特徴。師匠にご馳走になったこと。千円頂戴したこと。師匠は行きつけのそば屋を「ここんち」と言ったこと……。
翌朝、コインランドリーに行き待ち時間にベンチに座りながら「ここんちの乾燥機は乾きが早いんだ」と心の中で呟いた。どうもおかしな調子だ。「ここんち」とコインランドリーは相性が悪い。
そのあといったん帰って、瓶の中の千円札一枚を横目に、時間までに師匠の家へ歩いて着くように、かなり早目に高野荘を出た。
その高野荘、今は横文字のなんちゃらという名前になっていて、コインランドリーもコンビニに変わっている。
ちなみに今年のうちの師匠の五月上席浅草演芸ホールの出番は15:30上がりで、上野鈴本演芸場との掛け持ちだ。見習いだった私も夜の部で浅草と上野に出演予定。
23年経つといろいろ変わる。東京での新生活に早々に疲れたら、ゴールデンウィークは寄席にでもおいでになってはいかがですか。