【追悼リック・オケイセック】カーズ&ソロ活動の軌跡を米ビルボード・チャートで振り返る
【追悼リック・オケイセック】カーズ&ソロ活動の軌跡を米ビルボード・チャートで振り返る
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 現地時間の2019年9月15日、リック・オケイセックが米ニューヨーク・マンハッタンの自宅で死去した。75歳だった。ソロ・アーティスト、そしてカーズのリード・シンガーとして多くのヒット曲を世に送り出した彼は、史上最も有力で尊敬されたニュー・ウェーヴ/パワー・ポップ・ミュージシャンの一人だった。

 米ビルボード・チャートでも数々の輝かしい記録を残した彼が在籍していたカーズは、1978年から1988年の間にソング・チャート“Hot 100”に18曲を送り込み、内4曲がTOP10、13曲がTOP40入りした。オケイセックがソロとカーズとして獲得したHot 100ヒットのTOP10は以下の通りだ。

◎カーズ&リック・オケイセック 米ビルボード・ソング・チャート“Hot 100” オールタイム・ヒットTOP10(順位、最高位、最高位達成日)

1位「シェイク・イット・アップ」No. 4、1982年2月27日
2位「ドライヴ」No. 3、1984年9月29日
3位「トゥナイト・シー・カムズ」No. 7、1986年1月11日
4位「ユー・マイト・シンク」No. 7、1984年4月28日
5位「マジック」No. 12、1984年7月7日
6位「エモーション・イン・モーション」No. 15、1986年11月15日
7位「ユー・アー・ザ・ガール」No. 17、1987年10月24日
8位「レッツ・ゴー」No. 14、1979年9月8日
9位「ハロー・アゲイン」No. 20、1984年12月22日
10位「ホワイ・キャント・アイ・ハヴ・ユー」No. 33、1985年3月30日

※集計期間は2019年9月21日付のチャートまでで、No. 1が最大値となる逆ポイント・システムを採用した。時代とともに算出方法が変化しているため、チャートにおけるターンオーバー比率を考慮し時代ごとに調整している。

 ソロ曲は6位の「エモーション・イン・モーション」のみという結果だが、1983年に「サムシング・トゥ・グラブ・フォー/Something to Grab For」が47位、1987年に「トゥルー・トゥ・ユー」が75位でHot 100入りしている。

 カーズが発表したアルバムに目を向けると、10作が米ビルボード・アルバム・チャート“Billboard 200”入りし、内5作がTOP10入りを果たしている。1978年リリースのセルフタイトル・アルバム(邦題『錯乱のドライブ』)は1978年7月1日に初登場したが、これはグループがシングル「燃える欲望/Just What I Needed」で初めて米ビルボード・チャート入りした2週間後のことだった。デビュー・アルバムは1979年3月24日付チャートで最高位の18位を記録、1981年初め頃までチャートに留まり、「燃える欲望」、「グッド・タイムズ・ロール」、「ベスト・フレンズ・ガール」の3曲が全米チャート入りしたことで、バンドはその年の【グラミー賞】<最優秀新人賞>にノミネートされた。

 1979年にリリースされた2ndアルバム『キャンディ・オーに捧ぐ/Candy-O』は全米・アルバム・チャートで3位を記録した。ピンナップ・アーティスト、アルベルト・バルガスによるアートワークが有名なこの作品は、「レッツ・ゴー」や「オール・アイ・キャン・ドゥ/It’s All I Can Do」などのヒットを生み、【グラミー賞】にもノミネートされた。

 カーズはその後も1980年に『パノラマ』(5位)、1981年に『シェイク・イット・アップ』(9位)をリリース。後者のタイトル・ソングはHot 100で4位を記録、バンド初のTOP10ヒットとなり、最高位をマークした。

 『シェイク・イット・アップ』を発表したあと、オケイセックは初のソロ・アルバム『ビーティチュード/Beatitude』を1982年にリリースした。同作は28位が最高位で、初ソロ・シングル「サムシング・トゥ・グラブ・フォー」が47位にチャート・インした。

 1984年に発表されたカーズの5thアルバム『ハートビート・シティ』はBillboard 200で3位を記録、Hot 100ヒットをバンド最多の5曲送り出した作品となった。「ユー・マイト・シンク」が7位、「マジック」が12位、「ドライヴ」が3位、「ハロー・アゲイン」が20位、「ホワイ・キャント・アイ・ハヴ・ユー」が33位を記録している。さらに「ドライヴ」は米ビルボード・アダルト・コンテンポラリー・チャート1位に3週留まった。同アルバムは<年間最優秀プロデューサー>を含む4部門で【グラミー賞】にノミネートされたほか、「ユー・マイト・シンク」のミュージック・ビデオは第1回目の【1984 MTVビデオ・ミュージック・アワード】で故マイケル・ジャクソンの「スリラー」やザ・ポリスの「見つめていたい/Every Breath You Take」などを抑え、<ビデオ・オブ・ザ・イヤー>を受賞している。

 カーズが1985年にリリースした初のベスト・アルバムは12位を記録し、収録されていた未発表曲「トゥナイト・シー・カムズ」がバンドにとって最後のTOP10ソングとなった(7位)。この年に発表されたオケイセックの2ndソロ・アルバム『ディス・サイド・オブ・パラダイス』は31位を記録、「エモーション・イン・モーション」(15位)を含む2曲がHot 100入りした。彼は2005年の『Nexterday』までさらに5枚のソロ・アルバムをリリースしたが、どれもチャートには入らなかった。

 カーズの6thスタジオ・アルバム『ドア・トゥ・ドア』は1987年にリリースされ、Billboard 200で26位を記録、「ユー・アー・ザ・ガール」(17位)、「ストラップ・ミー・イン」(85位)、「カミング・アップ・ユー」(74位)がHot 100入りした。

 2011年にリリースされた、バンドの7作目にして最後となったアルバム『ムーヴ・ライク・ディス』は、Billboard 200で初登場7位を記録し、バンドは久々にTOP10に返り咲いた。

 カーズのアルバム・セールスは、全米で累計1,500万枚/ユニットを超えていると米ビルボードは推定している(1991年以前はアメリカレコード協会の認定数、1991年からはニールセン・ミュージックのポイント・オブ・セール・データに基づく)。