仏像については一言言いたい人が最近増えているようで、それも女子のオシャレ趣味としての仏像愛好家が多いから、イヤな感じである。これは自分が40年来の仏像ファンなのに誰もチヤホヤしてくれなかった、という単なる恨みである。それにしても、最近の仏像ブームにおける「ゆるさ」は気になる。「カワイイ」とか「ハンサム」とか言えば、何か新しいことを言った気になってるが如き風潮には大いに異を唱えたい。
 で、研究者が書いたこの『仏像の顔』も、そういうニワカ仏像マニアに媚びた本かと思うところですが、何せ岩波新書なので、そんな堕落したものではありません。とっつきやすい文体ですが、書いてあることはきちんと堅い。仏像の顔の表情は宗教として決まっているわけで、その決まりの中から、いろいろな国でいろいろな方向に変化していった、というような話で、ぜんぜんチャラチャラしてない。
 仏像のセレクトも超定番であって新味は一切ないが、その見飽きたような顔について、なんでそういう顔になってるかを実証や予想を交えて説明してあるので興味深く読んでしまう。メジャーすぎてつい軽視していた仏像の顔をまじまじと見て、あらためてその魅力に気づく。法隆寺の伝橘夫人念持仏阿弥陀如来(たちばなふじんねんじぶつあみだにょらい)なんて、ナナメからのショットとともに、その「伏目がちの眼はよく見ると二重ですが」と書いてあるのを読んでると、何度も見て慣れ親しんだ顔がやけに魅力的に見えたりする。
 しかし、私が昔からどうしても魅力があるとは思えない平等院鳳凰堂(びょうどういんほうおうどう)の阿弥陀如来の紹介は、「顔は円く、張りのある頬と弧を描く眉、伏目がちの眼など、まさに『尊容如満月』です」とあり、その後の仏・菩薩の顔に継承された、というのがどうしても納得がいかない。作者である定朝(じょうちょう)がいかに優れた仏師であったかの逸話なども紹介されるのだが……どうしてもだめでした。しかし、いくら説明されても自分がこの仏像に興味が持てないこともわかるのでよかった。

週刊朝日 2013年11月8日号

[AERA最新号はこちら]