批評家の東浩紀さんの「AERA」巻頭エッセイ「eyes」をお届けします。時事問題に、批評的視点からアプローチします。
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中国湖北省武漢で発生した新型コロナウイルスが世界中に混乱を引き起こしている。
最初の患者が確認されたのは昨年12月初旬。月末に武漢市衛生健康委員会より緊急通知が出され、広く知られるようになった。
年が明けて1月9日には最初の死者が出て、15日には日本でも最初の患者発生が確認された。23日には武漢市に出入りする公共交通機関がすべて運行停止になり、24日には北京の紫禁城や上海ディズニーランドを含む観光地が軒並み閉鎖を決定。中国政府は封じ込めに全力を尽くしたが、どうやら遅すぎたようだ。感染はすでに中国全土に広がり、29日時点で中国国内での患者は7711人、死者は170人にのぼり、患者数は2003年に流行したSARSを超えている。患者はアメリカやヨーロッパでも発見されており、本稿執筆時点で収束の兆しはまったくみえない。経済への影響も大きい。
加えて深刻なのは、混乱が広がるにつれて陰謀論やヘイトも目立つようになってきたことである。SARSの流行では中国の情報隠蔽体質が問題となったが、今回はかなりオープンな対応が取られている。にもかかわらず中国や中国人への差別感情が蠢き始めている。
デンマークの新聞が掲載した風刺画は大使館が抗議する政治問題となった。フランスでは差別への抵抗として「私はウイルスではない」とのハッシュタグが生まれている。日本では有名観光地で早くも「中国人は入店禁止」の張り紙が現れた。SNSを覗くと、中国人観光客を強制送還しろといった乱暴な書き込みが目立つ。
新型肺炎の発生は医学的な現象であり、そこに政治的な意味はない。ウイルスと中国の体制は関係がないし、中国人は疫病発生になんの責任もない。「新型肺炎は怖い」は差別ではないが「中国人は怖い」は差別である。不用意な感染を予防するのは重要だが、それと差別を混同してはならない。
ウイルスの流行はいつか収まるだろう。けれどヘイトで傷ついた心は長いあいだ癒えることがない。原発事故での風評被害を知っている日本人こそ、そこに敏感でありたいと思う。
※AERA 2020年2月10日号