音楽シーンから消えても、ショーケンのスター性が消えるわけはない。テレビでは「太陽にほえろ!」でスターダムへのきっかけをつかみ、「傷だらけの天使」で不良スターの座を揺るがぬものにした。もう言われすぎてて書かないが、「傷だらけの天使」の冒頭シーンでの、コンビーフやトマトやビスケットやソーセージを食い散らかすショーケンをまねしなかった不良は、いない。

 その後、不良の枠を飛び出し、「八つ墓村」や「影武者」など映画界で大化けしたのは、もはや多言を要さない。

 ショーケンの魅力とは何だったのか。ライバルだった沢田研二や松田優作と比べると、よく分かる。

 ファンキーなのだ。

「太陽にほえろ!」や「傷だらけの天使」のテーマ音楽(ともに、元PYGの大野克夫、井上堯之が担当)は、日本の音楽を飛び抜けたファンキーさがあった。ショーケンもそうだ。70年代黒人ソウル歌手のような、かっこいいんだかやりすぎなんだか、観ている方が混乱する、そんなかっこよさ。ジュリーみたいに、バリバリの二枚目じゃない。どこか、抜けている。抜けすぎてるから、突き抜ける。

 もうひとつ。情けないのだ。

 ショーケンがほっぽり投げた「太陽にほえろ!」の主人公の座は、当時まったく無名だった松田優作が射止めた(ジーパン刑事)。松田はその後、国民的アクションスターになった。リドリー・スコット監督の「ブラック・レイン」でも、存在感ありありの殺し屋を演じ、惜しまれつつ夭折した。

 松田は、これまた全身、かっこよかった。三枚目役もやっていたが、それでも「三枚目を演じているかっこいい人」の感はぬぐえなかった。ショーケンは、本気レベルでかっこ悪い、情けない男を演じられた。「傷だらけの天使」で、刑事ややくざにどつき回され、悲鳴をあげ謝っているショーケンに、演じている感は、ない。情けなさ、かっこ悪さが、かっこよかった。

 スコット監督も当初、「ブラック・レイン」にはショーケンを考えていたのだという。松田の怪演はアカデミー賞もので、長生きすればその後ハリウッドスターになっていただろう。ただ、殺し屋が刑事に捕まって以降、いただけなかった。というか、役が松田に、似合ってなかった。クールだった殺し屋が、なんか、情けないのだ。ここはやはりショーケンだったろう。

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