経済学者で同志社大学大学院教授の浜矩子さんの「AERA」巻頭エッセイ「eyes」をお届けします。時事問題に、経済学的視点で切り込みます。
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株価が下がる。どんどん下がる。アメリカで。日本で。ヨーロッパで。この状況を目の当たりにしながら、本稿の執筆に着手した。今後、どういう成り行きになるかは分からない。年内反転があるかもしれない。年明けとともに、何事もなかったようなご祝儀相場の連鎖が世界を駆け巡ることになるかもしれない。
だが、それはそれとして、今のこの感じは怖い。ショック型の怖さではない。衝撃的なわけではない。あまりにもしっくりきすぎる。来るべきものはやっぱり来る。このやっぱり感には、背筋をスーッと冷たくするものがある。これが、今、筆者が味わっている怖さだ。
世界的に、株価は舞い上がり過ぎていた。だから、いずれ急降下しなければならない。筆者はずっとそう確信してきた。なぜここまで舞い上がり続けてきたかといえば、それは世界的なカネ余りのなせる技だった。そのカネ余りは、日欧米の中央銀行が作り出してきたものだ。決して、グローバル経済がその内発的な力学によって生み出したものではなかった。
この間の世界の株価は、量的緩和という名のトランポリンの上で飛んだり跳ねたりしていた。トランポリンのおかげで、着地しそうになっても、また勢いがついてしまって天空高く舞い上がる。日本の場合には、日本銀行によるETF(上場投資信託)買いという形でトランポリンがことのほかパワーアップされてしまっていた。だから、一段ととんでもない高みまで跳び上がってしまっていた。
だが今、トランポリンは次第に弾力を失いつつある。そこに持ってきて、グローバル経済の雲行きが実に怪しげになってきた。慣れ切った高みの経済的天候が荒れ模様だ。米中貿易戦争は本格化しそうだし、イギリスのEU離脱で何がどうなるか分からない。
ひたすらトランポリン・パワーに放り上げられてきた株価には実力がない。だから、上空の天候が荒れてくればひとたまりもない。ニューヨーク株は、既に1929年の大暴落以来の落ち込みとなっている。29年にトランポリンはなかった。その分、まだあの時の方がマシだったかもしれない。やっぱり怖い。
※AERA 2019年1月14日号