角野:私は自分のことを書いたのは『トンネルの森 1945』だけ。あとは、みんな嘘ばなし(笑)。
高橋:自分や家族のことを書こうとは思わないんですか?
角野:父は面白い人でしたから、書いてみたいな、と思うんですがまだきょうだいが生きていますから。
高橋:複雑なんですね。でも、もういいんじゃないですか。
●10歳の目で戦争書いた
角野:『トンネルの森』については、弟たちはよく書いてくれた、と喜んでくれました。
どうして私がこの本を出す3年前まで戦争について書かなかったかというと、戦後の平和のなかで戦争について後追いで書くのは、違うと思ったんですよ。ベストセラーになった本でも、「戦時中にそんな生活や考えがあったのかな?」と思う作品もありますし。実際、10歳だった自分は、当時、戦争が悪いとか思っていませんでした。
一度だけ、リンドグレーンに会ったことがあるんです。彼女が81歳の頃、国際児童図書評議会(IBBY)の大会がノルウェーであった時に、会場のエレベーターに乗り合わせた何十秒かのことなんですが、杖をついていたけれど、矍鑠(かくしゃく)としていてね。「あ、この人、ピッピだわ」と思ったんです。そのとき『長くつしたのピッピ』は戦争があったから生まれた作品じゃないかな、って思いました。
高橋:リンドグレーンの書く子どもを読むと、「子どもそのものがいる」という感じで、かなわないと思う時がありますね。
角野:『長くつしたのピッピ』が出るのは1945年、戦後です。だから戦争について思うことはあっただろうけれど、リンドグレーンは一言も触れていない。そのかわり、面白い物語を通じて、他人に左右されない、強い人間でいることの大切さを書いています。
高橋:ケストナーもそうですね。大人は自分に責任があるけれど、子どもは自分の運命は選択できないのに厳しい状況に置かれている。子どもを書く作家の向き合い方はきついです。
角野:大人は責任をとらなきゃいけないけれど、お話のなかで押しつけてもいけないのよね。
高橋:子どもを描きながら、大人はどうしたらいいのか突きつけられる側面が、児童文学の背景にはあるんだと思います。
●本を閉じても別の扉が
高橋:生まれたときからインターネットやスマホがある世界に生まれた子どもたちでも、やっぱり物語は必要なんですよね。それは変わらないと思います。
角野:そうなんでしょうね。本の場合は書かれている世界を想像しながら読むから、その瞬間から、読者だけの物語になっていくのよね。私が書いたものでも、読者その人の物語になる。そこが本で物語を読むことの素晴らしいところだと思うの。
高橋:物語は終わらなくてもいいんですよね。入りこむことさえできれば。
角野:お話が終わっても、また別の扉が開くの。本って、そういうものだと思います。
(構成/ライター・矢内裕子)
※AERA 2018年7月23日号
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