「バブル崩壊が始まって5年あまりがたった90年代後半には、取り付け騒ぎが起きるなど、社会の秩序が壊れ始める寸前まで金融危機が深刻になりました。不良債権の損失が公表されず、破綻処理が遅れたためです。銀行など企業で会計制度の運用が形骸化して、公表される数値と現実との間に大きな乖離(かいり)があったということです。不良債権の損失を会計上で認識するまで何年もかかってしまった。だから、バブル崩壊のマグニチュードの大きさを、当事者たちも分からなくなった。大蔵省はその形骸化を黙認するどころか、積極的に手を貸したのです。危険が目の前にあるのに、『現実から目を背けて頭だけ砂の中に隠す』、という状況でした。もっと早く情報を開示して、公的資金投入の環境を整えるべきだったのに、それを怠った」(奥山さん)

 東京地検特捜部などは95年以降に捜査を本格化させ、その後の8年間で100人を超える金融機関の役職員を逮捕した。ペイオフを見送って国民の負担で金融システムを守るのと引き換えに、経営者への責任が追及された。

「遅きに失しました。80年代や90年代前半に銀行や証券の中枢に捜査のメスが入っていれば、あそこまで事態が悪化するのを食い止められたでしょう。危機が深刻になるまで捜査に消極的で、バブルが必要以上に膨らむのを許しただけでなく、本当に悪い人たちが時効の壁の向こうに逃げ切るのも許してしまいました。90年代半ば、そうした声を検察の内部からも聞きました。とはいえ、遅ればせとはいえ捜査・訴追が行われたことには意味があったと私は思います。企業や行政機関で曲がりなりにもコンプライアンスが意識されているのは、そのときの捜査・訴追の成果です」

 検察を長年ウォッチしてきた村山さんも、「国策捜査」とも言われた捜査・訴追の必要性をこう語る。

「バブルは銀行や証券会社の規律を緩め、乱脈融資が横行しました。暴力団などによる地下経済が企業社会を浸食しました。検察は不正経理が発覚したイトマンや東京佐川急便などを舞台にした大型経済事件を次々に摘発し、実態を暴いた。公共事業をめぐる政官業の利権にも切り込み、喝采を浴びました。さらに検察は、不良債権処理に公的資金を投入した金融機関の経営者らの責任追及を、政府(大蔵省)から求められました。金融機関を巡る捜査は『国策捜査』だったと、揶揄(やゆ)するようなニュアンスを含む指摘もあります。しかし、民間企業である住宅金融専門会社(住専)や銀行の破綻処理に税金を投入する以上、責任追及は必要で、本来、検察が積極的に取り組むべき仕事です。当時の国民もそれを望んでいたと思います」

 検察への期待が高かっただけに、捜査が遅れたことは反省点だという。訴追された経営者の中には、最終的に無罪になった人もいる。
「多くのケースで不良債権の原因をつくった経営者らについては、背任罪などの時効が完成していました。日本長期信用銀行や日本債券信用銀行については、不正融資にあまり関係していなかった経営者を粉飾決算に絡んで訴追しました。『理不尽』と受け止めた国民も多くいたと思います。本来はもっと早く事件として『旬のとき』に、摘発すべきだったのです。例えば、日債銀では政界がらみの不正融資の疑いがあり、東京地検特捜部は80年代半ばに関係者の事情聴取に踏み切ろうとしました。ところが、当時の検察首脳からストップがかかり、捜査はうやむやで終わってしまった。首脳が捜査を止めた理由は不明ですが、不透明な融資は実際に行われており、きちんと捜査すれば訴追できた可能性は高かった、と思います。日債銀の放漫経営は続き、バブル崩壊で日債銀の資産は大きく傷んだ。あのとき摘発していれば、日債銀の経営は正常化し、最後の経営者らが訴追されることもなかったと思います。検察が適切に対応しなかったため禍根を残した典型だと思います」(村山さん)

 大蔵省は金融行政のほか予算や徴税も担当し、名実ともに護送船団を率いる巨大な権力だった。その大蔵省の過剰接待問題は国民の批判を浴びた。大蔵省と検察は蜜月の関係にあったが、官僚の責任を追及すべきだという国民の意思を検察は重んじた。

「検察はバブル崩壊直後まで大蔵省と、脱税の告発や予算査定などを巡って、密接な関係を結んでいました。政治家の大蔵省への介入に目を光らせ、大蔵省を支える『番犬』になっていたのです。長信銀や大手都銀は大蔵省にとって『金城湯池』であり、そこで起こる問題は大蔵省が行政権を使って解決するものであり検察の出る幕はないと、検察幹部の多くは考えていたと思います。しかし、大蔵官僚は不良債権処理の不手際などで国民の信頼を失いました。証券会社や銀行を舞台にした総会屋への利益供与事件の捜査で、大蔵官僚が金融機関から『ノーパンしゃぶしゃぶ』などの過剰接待を受けていたことが明らかになったのです。法務省や検察首脳の間には、大蔵官僚を接待汚職で摘発することに異論もありましたが、特捜部は責任追及を求める国民の声を受けて摘発に踏み切りました。結果としてそれが、護送船団方式にとどめを刺すことになりました。『バブル経済事件の深層』では、筆者が垣間見た検察と大蔵省の蜜月時代の一端や、盟友を接待汚職で捜査する検察幹部の苦悩や葛藤も描いています」(同)

 財務省の公文書改ざん問題について不起訴を決めるなど、検察の対応はいまも国民に注目されている。バブル崩壊を巡っては、いまにつながる課題が含まれているのだ。

 過去を振り返るのは、「なにをいまさら」という人もいるかもしれない。でも、せっかくの教訓を平成の「昔話」にしてはもったいない。令和の時代も多くの困難が待ち受けているに違いないのだから。
(本誌・多田敏男)

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