作家・葉室麟さんが他界し、もうすぐ1年になる。<歴史の主役が闊歩する表通りではなく、裏通りや脇道、路地を歩きたかった>。そんな思いでつづられた遺作エッセー『曙光を旅する』(朝日新聞出版)が刊行された。眼光鋭く、情に厚い。そんな兄貴分を思い、朝井まかてさんと東山彰良さんが語り合った。澤田瞳子さんも飛び入りし、盛り上がる対談会場は、いっそう熱を帯びた。
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東山:葉室さんと初めてお会いしたのは2015年、ぼくの作品『流』が直木賞候補になった頃です。酒席となり、よく呑みました。電車で帰る方向が一緒でしたが、葉室さんはとても遠くまで乗り過ごしてしまった(笑)。
朝井:わたしも初めてお目にかかったのは3年ほど前。「月刊葉室」と言われるほど忙しくされていて、編集者からの電話もほぼ鳴りっぱなしでした。でも、その忙しさを楽しんでおられるような、とても充実しているふうでした。
東山:意気投合したぼくは、福岡久留米界隈で葉室さんと呑むようになりましてね。関西在住のまかてさんや澤田瞳子さんのことをよく話題にしていたなあ。
朝井:あれでしょう。わたしが執筆しているとき、血行を悪うせんよう「しめつけへん」格好しているってこと、知らぬ間にネタにされていた(笑)。でもわたしたち後輩作家にもいつもユーモア交じりで、垣根を構えない人でしたね。
東山:知り合いになり、普段は海外の作品ばかり読んでいるぼくは、『蜩ノ記』から読みました。自分がやろうとしていることが書かれていて、やられたな、と痛感しましたね。
朝井:『蜩ノ記』は、最期の日が決まっている、その日までどう生き尽くすか、という生の美学だと思います。『曙光を旅する』に筑豊の記録文学作家の故・上野英信さんのご長男を訪ねる場面があるでしょう。炭鉱労働者とともに生きた上野さんの姿を、葉室さんはお若い頃から鏡のように見ていたのでは、と感じるんです。自分は何ができるのかと、ご自身に問い続けたのではないでしょうか。