とにかく戦略を練って受験に挑んだ賀屋さん。毎日計画を立てて勉強を進めた。理科は苦手意識を持っていた物理や化学は避け、「暗記でもなんとかなりそうな」生物に力を入れてひたすら過去問演習に取り組んだ。

 だがセンター試験本番は得意科目の日本史で失敗し、総合点は思ったほど伸びず、前期日程で受験した横浜国立大学は不合格という結果に。予想はしていたものの、不合格を知ったときは気持ちが落ち込んだ。残すは後期日程、3月12日の東京学芸大学のみ。「これは浪人かな」。試験前日、そんなことを考えながら東京に住む兄の家に向かっていると、熱海付近で突然新幹線が止まった。2011年3月11日、東日本大震災だった。

■新幹線の中で知った震災 前日は東京駅で“野宿”

「新幹線の中は停電しているし、情報も入ってこない。徐行運転でなんとか東京駅に着いたら、人があふれていました」

 兄の住む八王子まで行く手段もなく、その夜は駅の地下で“野宿”することに。ここで役立ったのが、予備の布団がない兄の家で使うために、母親から持たされていた寝袋だった。

「ぼくだけですよ、あの日東京駅で寝袋に寝ていたのは。周りらすれば、あいつは何者だ? この事態を予知していたのか? だったらなぜここに来た? みたいな感じだったでしょうね」

 幸い翌日は電車が運行を再開したため、駅の炊き出しで朝食を取り受験会場へ。面接では前日の強烈な体験を話し、無事合格をつかんだ。

 入学後はゼミでメディア社会学を学び、構成作家を目指していたが、3年生のときにアルバイト先で相方・加賀翔さんと出会い、お笑いの道に進むことを決意。だがその後、芸人としての活動をしながら教員免許を取ることを決めた背景には「せっかく学芸大に入ったのだから、教員免許は取らせてもらいなさい」という母の言葉があった。

「親が『とりあえずやっておきなさい』ということには、意味があるんですよね。習い事もそうだし、やりたいことがないならとりあえず大学行きなさい、というのもそう。目の前のレールにひとまず乗ってから、自分のやりたいことを見つけるのもありだとぼくは思います」

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